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2019
07/21
Sun

存在のない子供たち

day by day
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 あまりにも対照的だな、と思いました。エンディングです。映画の。両方とも「人の顔」が使われている。しかし私には一方は成功し、一方は失敗に感じられる。「こうも違うものか」と見終わって思った。

 土曜日です。銀座のシネスイッチ前で「存在のない子供たち」(http://sonzai-movie.jp)という同日封切りの映画を見付けた。何の事前知識もなかったのですが、「面白そうだ」と夜の回を昼の間に買っておいた。強烈な映画だった。それを通り越している。「悲惨」であり、日本人の私に「世界の多くの子供達を取り巻く実体はこうなんだ」とジワリ迫ってくる。とっても考えさせられる、そして痛々しい映画です。それだけだと救いようがない。

 しかしこの映画のエンディングは、実に素晴らしい。希望が残る。それまで決して笑わない主役の子供(12〜13歳、素人)に、最後は笑顔を作らせる。「証明書写真だから」と言って。証明書のない生活をしてきたこの男の子。その子が最後に作る笑顔。それがとっても印象に残るのです。逆にそれまでの悲惨さがすべて投影されるようで。昨日公開されたばかりの映画なので、詳しくは書きません。

 もう一方。「この映画はエンディングがダメだ」と思ったのは「新聞記者」(https://shimbunkisha.jp)です。公開されて暫く時間がたつ。なので既に様々な評価が出ている。「良い映画」「見応えのある映画」という人もいれば、「デフォルメされている」「タイトルの割に取材不足」など。私の評価は「あまりに直近の事件に紐付けしたことで映画の信憑性が落ちた」というもの。だが私には、映画として見た時のエンディングが何よりも気になる。

 「存在のない子供たち」と同じように、「新聞記者」でも「人の顔」の大写しがエンディングです。しかし「新聞記者」のそれは、「一体何を言いたかったのか」「この二人は結局どうなるのか」がとんと分からない。「???」で映画館を出ざるを得ない。私だけかと思ったら、この映画を見た多くの人(この映画のモティベーションを評価する人も)が、私と同じ印象を持っていた。なんなんでしょうね。あれは。

 対して、「存在のない子供たち」のエンディングが持つ力は強く、そして明瞭です。あの笑顔こそ、世界の多くの子供達が置かれている状況を変える力になると思った。映画として一見の価値がある。印象も強烈です。

06:02
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