日々のライブな情報ページ
2019
03/27
Wed

4月から新しい番組を始めます

day by day

 今日はお知らせです。4月から「ラジオ・コネクティッド〜つながるクルマの近未来」という番組を始めます。週一回、約一年間の予定です。ラジオ日経さんとの企画で、最近NHKラジオも加わったラジオアプリ・ラジコでも聞けます。20分番組で4月の最初の週から毎週。木曜日夜20:00〜20:20。翌金曜日の昼の再放送もあり、当然ながらポッドキャストでの放送もあります。

 「つながるクルマの近未来」というタイトルの通り、急速に市販車にも普及しつつある「connected cars」に特化した番組です。それを52回。相当深掘りが出来るイメージで、メーカーさんは当然ながら、車載器メーカー、通信業者さんに取材を重ね、「connected cars」の全貌を明らかにする中で「クルマの近未来」、そしてその社会的インパクトを見つめたいと思います。

 既に今の4Gに比べて100倍の通信速度を持つ5Gの世界はすぐそこに接近していますが、いわゆる「繋がるクルマ」の世界も大きく広がり、そしてクルマに新な魅力と安全性をもたらそうとしています。我々現代人の「移動」に関わる重大な状況変化が駆動体系の変化、情報環境の変化の中で起きようとしています。それがどうなるかを見ていきたいと思っています。

 既にトヨタさんの各部門の責任者へのインタビューを積み重ねており、今後も様々な分野の方への取材・インタビュー、それに私たちの考察を含めて番組を面白いものにしようと思っています。大きく変わろうとしているクルマの社会、そして人間の「移動」。新たな視点で新しい時代を見つめ、そして予言したいと思います。

 

私の4月からのネット・ラテ番組体制=https://arfaetha.jp/ycaster/information/post_1570.html

ラジオ日経=http://www.radionikkei.jp

                                     (了)

13:23
2019
03/06
Wed

ははは、二日連続で中目の新しいスタバに

day by day

nakamestaba1.jpg 半分は仕事関係の取材、半分は趣味だな。スタバが中目に作った「RESERVE ROASTERY TOKYO」。昨日は午前10時過ぎ、別の車関係の取材を午後1時に虎ノ門に控えての突入だったので、忙しかった。入るのに先ず整理券をもらい、その整理券のQRコードを読み取って、そこに必要事項を記入して送信。スタバから順番待ちの整理番号を知らせるメールが来るのを待って、時間になったら並び。そしてメールが来たらまた列に....と。私の整理番号は3333でした。

 今朝は「朝なら大丈夫だろう」と家を7時半過ぎに出て8時前に行ったら「直ぐどうぞ」と。昨日は「早く作れる飲み物」しか飲めなかったので、今朝は二つほど頼んで、この文章を書きながら飲み比べ。2時間くらいはいようかな。駐車場代が高くなるがしょうがない。

 4階建ての建物。4階が好きだな。一番落ち着く。もっとも4階は何も売っていないので、珈琲は1階から持ち上げねばならない。エレベーターもあるが、ちょい遠い。とっても閉口するのは電源がないこと。全フロア。WIFIはある。いつものスタバのやつ。普通のスタバのアプリでの支払いも同じように出来る。

 ま、綺麗だし、おもしろいんじゃないでしょうか。ただし、珈琲は1階で飲むのがいいんじゃないでしょうか。注文すると「出来上がり」(赤の点滅)を知らせてくれる端末を渡してくれる。ファミレスみたいに。私は注文して4階に陣取ってから出来上がりを待ったので、赤の点滅を見て階段を1階まで降り、出来上がりの商品をもらってまた階段で4階まで上がった。ちょっと珈琲が冷めちゃったな。

 飲み比べは面白かった。普段行っているスタバに比べて、品揃えは豊かです。グアテマラとグラビスタ・ブレンドを少しずつ飲みましたが「まろやか」「こく」など、いろいろ楽しめる。どちらが良いということではなく、その時の気分ということでしょう。食べ物は相変わらず貧弱で、私が食べた範囲ではあまりお勧めしない。

 何と言っても、建物の構造が面白い。時間の経過でどうなるか分からないが、4階までぶち抜きの明治神宮の屋根を思い浮かべる新品・新鮮コパーの輝く金属地が清々しい。多分これからの季節は2階から上の各階にあるベランダも席が多いので、使えると思う。「半分仕事」と書いたのは、今週の金曜日にTBSの森本毅郎スタンバイの午前8時15分からのコーナーで取り上げるので、今週中には取材を終えないといけなかった。でも、貴重な時nakamestaba2.jpg間です。新しいコンセプト、新しいお店、新鮮な発見。

 「発見」と言えば、今朝は圧倒的に日本人や欧米人の客が多いが、昨日は私の前後はとってもアジア系のお客さんが多かった。台湾系かな。情報はまたたくまに広がっているので、たまたま来日した人、そのために来た人もいるのだと思う。列の整理をしていた人が難渋していたので、私は英語でお手伝い。昨日の日中は「待ち」の時間が長いときには2時間になっていたような。

 あ、「車関係」の仕事は、今後「コネクティッド・カー(connected car)」に特化した番組(50回ほど続ける予定)をある局が始め、私がかなりの部分のMCをやるので、その関係で。昨日は新型クラウンの最近接続機能に関しての取材をトヨタの方に聞きました。それはまた始まる直前に書きます。

 

08:28
2019
01/24
Thu

とっても面白い勉強会だった.....スマホのアプリはなぜ動く?

day by day

 コンピューター上のソフトがなぜ動くのかは、少しかじったので理解出る。そこで使われる言語もいくつか知っている。しかしスマホ上のアプリが「なぜ、どうやって動くのか?」「どんな言語が使われているのか?」はこれだけ毎日毎時使っているのに、私にとって全くの「謎」だった。

 しかし昨日、その「謎」の一端が理解できた。友人の深見先生を講師に招いた勉強会を少人数で行って、具体的に極身近なところでのゲームアプリを念頭に"作成"のまねごとをしてみたのだ。驚いたのは、そこで使われている言語が「html」だったことだ。私が長くインターネット上にHPを作るために使っていた言語だ。

 考えてみればスマホとPCの違いはそれほどないのだし、OSをまたいでネット上に情報を表示できる言語がそれほど数多くあるわけではない。深見さんの説明で「Unity」とか言うAndroidとiOSをまたぐ言語がある事を知ったが、両方をまたげる言語は依然として数少ないらしい。

 先生のPC画面をHDMIでテレビに繋いで進めたのですが、あまり大きな場所でもなかったので、とってもよく分かったし、言語を書くスピードがそうは言っても遅い私でもついて行けるスピードで進めてくれて助かったし、面白かった。自分のHP作成に使うタグの類は様々な方法によって簡単に入力出来るのですが、今回使ったhtmlタグは私が繰り返し親しんできたものとはちょっと違う。それで手打ちになった。

 今回の授業、暫く続くのでとっても楽しみ。私がその際の写真をSNSでアップしたら、非常に多くの「いいね」がついた。それを見て勝手ながら、「ああ、スマホのアプリがなぜ動くのかに興味がある人が多いのだな」と分かった。次回、そしてそれ以降がとっても楽しみな勉強会となった。

09:59
2019
01/08
Tue

病人のいない島.......子供達は伸び伸び

day by day

 世界で知られた国で人口構造が綺麗なピラミッドになっているはインドですが、日本では小笠原村がその「綺麗な人口ピラミッド」なんだそうです。子供が島内で生めないのに子供が多いということは要するに「小笠原が子供を育てやすい環境」で、島内が「子だくさん」なのだそうです。私たちが泊まったペンションの経営者の方も女子が二人(小一と年長)居るのですが、「あと二人ほど」と言っていた。

 母島には小中があって、父島には小中高がある。高校より上はないので、本土に行くか、海外に飛び出るのだそうです。もともと小笠原島に住んだのは欧米系の2家族が最初だと言われている。明らかに日本人とは異なる顔つきの人も小笠原には多い。アメリカは日本本土からよりは距離的には近いし、欧米系住民の存在もアメリカやその先の海外を小笠原の子供達に身近なものにしているのでしょう。 

 小笠原の成人式は1月1日です。午前中に海開きや青ウミガメ放流をしたあとに午後に成人式をやる。二十歳の子供達が一番帰って来るから、というのが理由。今年は15人程度が式に参列したと聞きました。今の小笠原の小学校の一学年は30人くらいらしいので、戦前のピークの7400人(父と母の合計)になるのは相当先だが、徐々に島の人口は増える可能性が大です。島に憧れて移住してくる人も多い。沖縄石垣島の移住組は若い人、小笠原の移住組は子供連れ、と誰か言っていた。 

 私達の世界遺産地域ガイドをしてくれた「すだち」(須田が名字だが、島では村長を含めてニックネームで呼び合うそうな)さんやその他のガイドさんも、そしてペンションの経営者も「移住組」だった。なんらかの形で大学の時から小笠原とか自然とかに関連した勉強をしていて、島が好きで移住したという人が多かった。不便に感じることも多いが、「島には島の魅力がある。山ほど」というのが彼等の移住理由です。私も一瞬、「ここに一年ぐらい住むのもいいな」と思った。

 そうそう。「小笠原には基本的には病人はいない。みんな元気だ」というのが面白かった。島内で子供も生めない病院不足の小笠原。本当に危険な病人が出た場合には硫黄島の自衛隊にヘリを出してもらって同島の基地に運び、そこから自衛隊の飛行機で本土の病院に入院させるのだそうです。病人搬送も半端ない手順と作業。そんな手間暇を掛けて病人を搬送する必要が出てこないように、基本は「島には病人はいない」というのです。多分そうです。

 それにしても、旅のエンディングが劇的でした。二見港を出航する小笠原丸。港での見送りが盛大なことは「ああ、なるほど」と思ったのですが、船が港を出て直ぐに「あ、10数隻の船が併走(併航)していると」気がつきました。壮大です。船船に乗っている人達は皆手を振っている。一隻、また一隻と船速を落として併走をやめるのですが、辞めると同時に何人かが船の上から海にダイビングする。船ごとに。その度に小笠原丸からは歓声が上がる。

 小笠原丸からは「ありがとう」「いってきます」の合唱が起きる。多分成人式で島に帰ってきた人達も乗っていた。また正月を生まれ故郷の島で過ごすために帰ってきた人達もいた。旅の終わりがあれほど劇的だったことはない。島の人達のホスピタリティが素晴らしい、と思いました。サトウキビや冬野菜(カボチャなど)で生きてきた島も、今は観光が最大の産業。「また来て欲しい」という気持ちは間違いなくある。しかし年間恐らく40回くらい来航し、そして出航する小笠原丸をああいう形で送り出すのは大変だし、送られた方に感動を残す。「とても、とても素晴らしい」と思いました。今も私の中では「小笠原は素晴らしい」の印象が強くあるが、その一部はあのエンディングです。

 ありがとう、小笠原の方々。また行きたい。

 

11:03
2019
01/05
Sat

数多くのツアーコース.......小笠原は観光のメッカ④

day by day

 初めて来た小笠原は、観光のメッカでした。26〜27度の沖縄と同じ北緯。私たちがいた年末年始は朝が17度くらい、日中が高くて23度くらいで本土に比べれば体感的にはとっても暖かかった。島の人達は「寒い寒い」と言っていたが、本土に比べればお日様さえ出ればとっても暖かい(と私たち観光客は感じる)。基本的には風が強いのが難点ですが、それは孤島なのでしょうがない。全体的には快適です。

 4800万年前からの海底噴火で造山活動を開始し、4000万年前弱から地上に姿を現したと考えられる小笠原。日本列島より遙かに古い歴史を刻んでいるにも関わらず、一度も大陸とひっついたことがない「海洋島」。なので3ルート(海流、風、そして鳥)から運ばれた様々な生物、動物が長い時間の経過の中で「固有種」を形成し、そのいくつかは絶滅したが、多くは残っている。

 印象に残ったのはガイドをしてくれた人達の熱意と、植物では「タコの木」、動物では「オガサワラオオコウモリ」かな。そして島では種が少なく植物同士、動物同士の競争が激しくないので、花は白くなり、昆虫(アメンボウなど)は小さくなるというのが面白かった。植物では「タコの木」の実を「オガサワラオオコウモリ」が好んで食べる。というより、美味しいところ(汁)をつまむ(吸う)。コウモリは飛ばねばならないので、「美味いところをもらって後は捨てる」のが習性で、その捨て滓があちこちに散らばっている。一般道にも。

 小笠原は地上戦が行われなかっただけで、激しい空襲、銃撃を受けた。海の輸送船も狙われて、死者も沢山出たらしい。小笠原の地上戦が避けられたのは硫黄島制圧後のアメリカ軍が空襲基地としては「もうここで十分」と考えて小笠原をパスしたためとされる。銃撃に加わった一人が先に亡くなったパパ・ブッシュで、彼は撃墜されたが海上を漂流しているところを味方の潜水艦に発見されて助かった。故に大統領になれた。彼の同僚は死んだそうです。彼が空軍機で狙った日本陸軍の施設もまだ残っている。

 「軍関連の施設」を巡る軍歴ツアーも小笠原には既にある。今は人一人が通るのがようやくの急峻な山道も、戦争終結までは軍用車両が上がれるほどの幅の道だったらしい。なので山の上にはその時に山の上にまで運ばれ、設置されたレーダーがまだ残っているし、その他の塹壕、シェルターなどなどが散見される。道具はまだ残っています。毒ガスマスク、車両(ニッサンやトヨタの文字が読める)の残骸、大砲の砲身などなど。彼等が水を上の兵士に運ぶのにも使った一升瓶やビール瓶も残っている。鮮烈です。

 むろん海も素晴らしい。火山島の父島の直ぐ南に「南島」があるが、それは珊瑚礁が隆起して出来た島で、砂が真っ白です。私はしなかったがイルカと泳ぐ事も出来るし、ザトウクジラが雄大に泳ぐ姿も見れる。それぞれの季節でそれぞれの観光コースがある。今は冬で海の上は風があるとやや寒かったが、海水温は22〜23度で暖かかった。

 夏は島の南東部の世界遺産地域を歩くのは相当つらいそうです。暑くて。水が一人当たり3リットルほどいるらしい。しかし今はペットボトル1本もあれば十分。説明書通りに2リットルの水をリュックに背負った人は「重い」と言っていた。遺産地域に入るには靴やズボンの洗浄を行います。そして必ず「ガイドさん付き」でしか同地域に入れない。いろいろガイドさんは説明してくれる。全部は覚えきれないが、彼等が総じて均等に持つ「熱意は心」は記憶に残った。皆小笠原が好きで、小笠原の自然をなるべくそのままキープすることに熱心です。固有種の保護の必要性を誰もが熱心に説いていたのが印象的。

 暑いかもしれないが、今度は夏に来たい。しかし今回は小笠原で正月を過ごせたことで一杯思い出が残った。良かった。

08:56
2019
01/03
Thu

「補助金」が重要だし、故にとっても豊かな....気付きの③

day by day

 人も物資も「おがまる」で丸一日24時間の航海時間と船舶燃料を使って運ばれてくると言うことは、本来は「島の維持コストは高い」ということです。例えばガソリンはレギュラーでリッター190円くらい払った。レンタカーをしたので知っている。しかしそれでも本来の価格からは随分と安くなっているらしい。島内は目の子軽四輪が7割です。当然借りたレンタカーも黄色ナンバーだった。島の車全体として白ナンバーが少ない。あとはバイク、スクーター。

 以前は島のガソリン価格はリッター250円に接近していたらしい。ではなぜ本来価格から大幅に安くなっているのか。それはリッター55円に達するらしい補助金故です。少し前から付くようになったらしい。

 小笠原村が東京都下の村であり、車のナンバーも「品川」であるということは、非常にこの島にとって重要です。それは村の財政が補助金故に豊かであるということを意味する。都ばかりではない。国もこの島に補助金を出している。なにせこの島は「日本が領有を宣言し、各国もそれを認めた」のは明治維新以降。つまり150年くらいしか時間がたっていない。「国もここが日本の領土ですよ」と主張し続けなければならない。それには維持費がかかる。

 私はこの島にしばらくいて、「海上のブータン」だと思った。道路はあるが追い越し車線のある道路はない。急峻な山が続く。しかし片道一車線の道路でも、みな立派に整備されている。とても「村民3000人」の島に出来ることではない。それが出来るのは国と都から潤沢な補助金をもらって財政が豊かだからです。島の主な産業としてはむろん観光が一番らしいが、二番か三番に土建業が入る。道路の整備、そして家屋の建設などなど関連の仕事が多い。あるラーメン屋の待ちで一緒になった親子としばらく話したら「内地から来て砂防ダムを造っている」と言っていた。そもそも資材を運んでくるのに時間と経費がかかるので、軽く内地(日本本土)の何割か増しになるらしい。

 しかし生協や商店、レストランに行くと「あれ、割高な筈なのにほぼ同じ値段だ」と思う。各種食べ物や生活必需品。それも「補助金故に値段が抑えられている」からだという。「(生活必需品には)補助金が出て、値段は内地並み」とガイドが言っていた。内地と言っても、東京など都会と地方ではモノの価格は大きく違っているので、「内地のどこ」が基準かは知らない。しかし小笠原では「生活必需品には補助金が出ている」「なので価格が内地なみ」というのは重要です。その意味では生活はしやすい。

 ではなぜ国が小笠原について「ここは日本の領土ですよ」と主張し続けなければならないのか。それは小笠原諸島という絶海の海洋島を領有しているが故に、日本の領土・領海が大きく拡大しているからです。日本人は日本のことを「小さな島国」と思っているが、それは事実ではない。領海などを入れると日本は世界第7位くらいの面積・領域を持つ大きな国ですが、その三分の一は「小笠原諸島の領有ゆえ」です。(続)

06:36
2019
01/03
Thu

「おがまる」次第で起動し、そして休む島....気付きの②

day by day

 小笠原には決して大部分の観光客には見せない顔があります。それは定期船の小笠原丸(おがまる)が父島の二見港を竹芝桟橋目指して出港して、また観光客を乗せて戻ってくるまでの数日間(2〜4日)。観光客はほぼ全員(フルに乗せて830人と聞きました)が「おがまる」で来て、そして一週間後の「おがまる」で帰る。なのでその「おがまる」が二見港に停泊していない父島は基本的には観光客ゼロです。二週間以上宿泊しているごく少数の人以外は。今回の場合は1月3日から数日間。私たちも3日に島を離れます。

 なので、島のレストラン(二見港の桟橋近くに集中しています)や観光業(各種ツアー、民宿、ペンションなどなど)は、「観光客がいない時が休み」となります。観光客ゼロなので。だから私は見られないが二見港の近くのレストラン街も、初めて3日の午後から「お正月休み」となって夜は灯りが落ち、真っ暗になるらしい。

 実際に「おがまる」で動く島時間故に、食事が付かないペンション宿泊の我々は、元旦でも外食先を選ぶことが出来た。でなかったら年末年始もやっている吉野家などなどのチェーン店やホテルがない小笠原では、観光客は正月三が日を越せない。食べられたのは「おがまる次第の島じかん・スケジュール」故です。ありがとう「おがまる時間」。だから島の人達と話していると、「今はおがまるが来ているから」という言葉が頻繁に聞かれる。「来ているか」「来ていないか」がとっても重要なのです。

 「おがまる」は観光客だけを運んでくるわけではない。物資も運んでくる。大量の。だから面白い事が起きる。我々が乗ってきた「おがまる」は30日の昼に二見港入港ですが、その直後に港近くの生協に入ったら鮮度が必要なものの棚、例えば内地からしか運んでこれない野菜などの棚は空っぽだった。しかし入港後2〜3時間で「おがまる」が運んできた物資が二見港近くの生協的なお店に並び始める。それを島で生活している人達も続々と買いに来る........という展開。なので島で生活する人にとって「おがまる入港」は大事なのです。(続)

04:31
2019
01/02
Wed

出産は日本本土(内地)で.........

day by day

 明けましてお目出とうございます。今年が皆様にとって、良い1年でありますように。

 昨年12月30日から小笠原諸島の中の父島(他に「母」「兄」「弟」「姪」「仲人」などいろいろある)に初めて来ていますが、丸3日ほどいて印象に残ったことをいくつか書きます。

 その第一は「この島では出産ができない」ということ。20年ほど前までは出来たそうです。もっとも危険度が高い第一子は駄目。第二子以降が可能だったらしい。産婆さんがいたので。しかし今は産婆さんがいないし、病院は診療所しかなく設備がない。

 妊婦さんは妊娠8ヶ月になる前に全員が内地(ここの人の言葉で日本本土)に行かねばならない。なぜなら丸24時間の航海時間がかかる小笠原丸(芝浦桟橋--小笠原父島二見港の定期船 ここの人達は「おがまる」と呼びます)に乗れなくなるため。多分長い航海時間からのルールでしょう。

 なので妊娠8ヶ月から最低出産一ヶ月後までのほぼ4ヶ月間は、一家が別々の生活になる。移住組(内地生まれで実家が日本本土にある人達)は大部分が奥さんを日本国内の奥様の実家に預け、そこを亭主が時々訪れるという生活になるらしい。問題なのは、小笠原の昔からの住民の方。内地にはあまり縁もないので「病院の近くなどにアパートなどを借りる」そうなのです。島の人々にとってもっとも縁のある都内の病院は広尾病院と聞きました。ヘリポートがある。これは大変なコストです。

 実家が日本内地にあるとしても大変です。たまたま31日のツアー(千尋岩=ハートロックへの島内南への旅 世界遺産の森の中を縦走します)のガイドをしてくれた須田さん(小笠原では島民全員があだ名で呼ばれていて、その人のそれは「すだち」でした)の奥様は、栃木の実家帰りでの出産待ちらしい。なので小笠原の人達にとって「出産」は大仕事になります。

 では子供を持つのが大変なので「子供は少ないか」というとそうではない。「環境としては子供を育てるのに良い環境」(住民の方々)とおっしゃって、子だくさんです。環境が良く、その後は育て易いらしい。父島には高校まである。小笠原の環境の良さに惚れて移ってくる方々は多いらしい。実際に旅の仕事に携わっている人の大部分は、私が会った限りでは移住組です。次回以降に書きますが「小笠原での生活には魅力がある」ということでしょう。

 次は圧倒的な住宅不足。なにせ絶海の孤島の火山島(一度も大陸とつながったことがない「海洋島」)で平地は少ない。直ぐには民間航空機が離着陸できる空港を簡単に作れない背景がある。小笠原村は戦前のピークである7400人は無理としても、今は3000人未満の島民の数を増やしたいらしい。しかしそもそも土地がない。二見港漁港の近くにある都営住宅のような住宅を増やしたいらしいが、それもなかなか進まないらしい。

 なので、小笠原丸で一回当たり運ばれてくる800人強は、民宿とかペンションとかに分散小規模宿泊となる。むろんそれは楽しいのですが、ホテルと呼ばれるような代物は一つもない。同じ北緯26〜27度の観光地としては沖縄本島がありますが、そことの違いは大きい。島のあり方については、実に様々な意見があるらしい。当然です。「空港が欲しい」という人もいれば、「そんなのは要らない」という人もいる。人口が増えて欲しいという人もいれば、「この程度で良い」という人もいる。

 いろいろなのですが、一つ言えるのは私たちにとっては「来てとっても良かった」ということです。その辺はまた書きます。(続)

 

 

 

 

03:08
2018
12/31
Mon

丸一日は船の中.........

day by day

 ネットに追われる日々から離れたい、たまに離れてみるのも良い........と思っている人には、とってもご推薦です。ほぼずっと「圏外」。ほぼほぼ丸一日24時間です。竹芝桟橋から小笠原諸島に向かう小笠原丸の中。WIFIはおろか、スマホの4Gも通じない。

 船中でスマホが通信できて情報を受発信できるのは、陸地(竹芝桟橋、八丈島などの航路沿線の島、それに小笠原諸島)に近いときだけ。そして恐らく営業中の船内レストランの中のみ(しかも陸地近くで増幅器を使っている)。夕食時は出来た。ラインもその他FBなどSNSも。しかし同じレストランに夜間に行ってみたら「圏外」だった。

 なので、日頃しないトランプやその他新しい紙媒体のゲームがゆっくり出来るし、何よりも本が読めます。もってきた二冊の本を直ぐに読み終わってしまった。帰りにまた本を買わないといけない。行きと同じ状況なので。

 -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- --

 初めて小笠原諸島に向かって都内移動しています。長時間かかります。飛行機が飛ばない。距離的にはサイパンと東京のほぼほぼ真ん中なので、飛行機が飛んでいたら2時間かからない筈。しかし小笠原諸島には観光客を乗せた飛行機が離着陸できる飛行場がない。作ろうという動きはあるようだ(写真)。

 だからこれまでも「行きたい」と思いながら「なかなか行けない都内」でした。東京都小笠原村。船内には「一週間帰れない.....ということは一週間リラックスできる」との船中の旅の宣伝文句が。確かに。小笠原旅行には一週間が必要です。その両端の二日は船の中。

 小笠原丸は船としては大きいので、それほど揺れない。しかし「動揺」(船の揺れを意味する海運用語)はあります。船の中では皆がちょっとした酔っ払いです。廊下を歩く時には、自分も、そして前の人がやや揺れている。

 いろいろなクラスの船室がある。二段ベッドが連なるお部屋もあるし、狭いビジネスクラス程度のお部屋も。その上のクラスもある。特別室と銘打って4部屋。自分達が入っているお部屋以外のことは知りませんが、お風呂も付いていてまずまず快適。

 しかし廊下やちょっとしたスペースには様々なグループが場所を占拠して、それほど騒がしくもなく「宴会状態」です。それもよし。船中売店もあるし、自動販売機もある。 いずれいせよ、人間が居住する日本の最も東の島。楽しみます。 

08:49
2018
12/04
Tue

こちらも聞いて面白いかと.......

day by day

 それにしても今日は暖かい。新幹線の中もポカポカです。

 ところで、私が月に一回やっている番組を紹介します。

http://www.radionikkei.jp/yonde/

 です。http://www.radionikkei.jp/roundup/ は既に実に多くの方に毎週聞いて頂いているのですが、

こちらの「日経新聞を読む」も凄く面白いと思います。私以外の出演者も面白い面子で、「聞く日経・日経解説」になっています。是非ご試聴下さい。直近の収録は昨日の夜でした。フジさんの番組を終えた後。面白い話題を二つ取り上げています。           (13:04)

13:00


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