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2019
01/05
Sat

数多くのツアーコース.......小笠原は観光のメッカ④

day by day
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 初めて来た小笠原は、観光のメッカでした。26〜27度の沖縄と同じ北緯。私たちがいた年末年始は朝が17度くらい、日中が高くて23度くらいで本土に比べれば体感的にはとっても暖かかった。島の人達は「寒い寒い」と言っていたが、本土に比べればお日様さえ出ればとっても暖かい(と私たち観光客は感じる)。基本的には風が強いのが難点ですが、それは孤島なのでしょうがない。全体的には快適です。

 4800万年前からの海底噴火で造山活動を開始し、4000万年前弱から地上に姿を現したと考えられる小笠原。日本列島より遙かに古い歴史を刻んでいるにも関わらず、一度も大陸とひっついたことがない「海洋島」。なので3ルート(海流、風、そして鳥)から運ばれた様々な生物、動物が長い時間の経過の中で「固有種」を形成し、そのいくつかは絶滅したが、多くは残っている。

 印象に残ったのはガイドをしてくれた人達の熱意と、植物では「タコの木」、動物では「オガサワラオオコウモリ」かな。そして島では種が少なく植物同士、動物同士の競争が激しくないので、花は白くなり、昆虫(アメンボウなど)は小さくなるというのが面白かった。植物では「タコの木」の実を「オガサワラオオコウモリ」が好んで食べる。というより、美味しいところ(汁)をつまむ(吸う)。コウモリは飛ばねばならないので、「美味いところをもらって後は捨てる」のが習性で、その捨て滓があちこちに散らばっている。一般道にも。

 小笠原は地上戦が行われなかっただけで、激しい空襲、銃撃を受けた。海の輸送船も狙われて、死者も沢山出たらしい。小笠原の地上戦が避けられたのは硫黄島制圧後のアメリカ軍が空襲基地としては「もうここで十分」と考えて小笠原をパスしたためとされる。銃撃に加わった一人が先に亡くなったパパ・ブッシュで、彼は撃墜されたが海上を漂流しているところを味方の潜水艦に発見されて助かった。故に大統領になれた。彼の同僚は死んだそうです。彼が空軍機で狙った日本陸軍の施設もまだ残っている。

 「軍関連の施設」を巡る軍歴ツアーも小笠原には既にある。今は人一人が通るのがようやくの急峻な山道も、戦争終結までは軍用車両が上がれるほどの幅の道だったらしい。なので山の上にはその時に山の上にまで運ばれ、設置されたレーダーがまだ残っているし、その他の塹壕、シェルターなどなどが散見される。道具はまだ残っています。毒ガスマスク、車両(ニッサンやトヨタの文字が読める)の残骸、大砲の砲身などなど。彼等が水を上の兵士に運ぶのにも使った一升瓶やビール瓶も残っている。鮮烈です。

 むろん海も素晴らしい。火山島の父島の直ぐ南に「南島」があるが、それは珊瑚礁が隆起して出来た島で、砂が真っ白です。私はしなかったがイルカと泳ぐ事も出来るし、ザトウクジラが雄大に泳ぐ姿も見れる。それぞれの季節でそれぞれの観光コースがある。今は冬で海の上は風があるとやや寒かったが、海水温は22〜23度で暖かかった。

 夏は島の南東部の世界遺産地域を歩くのは相当つらいそうです。暑くて。水が一人当たり3リットルほどいるらしい。しかし今はペットボトル1本もあれば十分。説明書通りに2リットルの水をリュックに背負った人は「重い」と言っていた。遺産地域に入るには靴やズボンの洗浄を行います。そして必ず「ガイドさん付き」でしか同地域に入れない。いろいろガイドさんは説明してくれる。全部は覚えきれないが、彼等が総じて均等に持つ「熱意は心」は記憶に残った。皆小笠原が好きで、小笠原の自然をなるべくそのままキープすることに熱心です。固有種の保護の必要性を誰もが熱心に説いていたのが印象的。

 暑いかもしれないが、今度は夏に来たい。しかし今回は小笠原で正月を過ごせたことで一杯思い出が残った。良かった。

08:56
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