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2019
01/08
Tue

病人のいない島.......子供達は伸び伸び

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 世界で知られた国で人口構造が綺麗なピラミッドになっているはインドですが、日本では小笠原村がその「綺麗な人口ピラミッド」なんだそうです。子供が島内で生めないのに子供が多いということは要するに「小笠原が子供を育てやすい環境」で、島内が「子だくさん」なのだそうです。私たちが泊まったペンションの経営者の方も女子が二人(小一と年長)居るのですが、「あと二人ほど」と言っていた。

 母島には小中があって、父島には小中高がある。高校より上はないので、本土に行くか、海外に飛び出るのだそうです。もともと小笠原島に住んだのは欧米系の2家族が最初だと言われている。明らかに日本人とは異なる顔つきの人も小笠原には多い。アメリカは日本本土からよりは距離的には近いし、欧米系住民の存在もアメリカやその先の海外を小笠原の子供達に身近なものにしているのでしょう。 

 小笠原の成人式は1月1日です。午前中に海開きや青ウミガメ放流をしたあとに午後に成人式をやる。二十歳の子供達が一番帰って来るから、というのが理由。今年は15人程度が式に参列したと聞きました。今の小笠原の小学校の一学年は30人くらいらしいので、戦前のピークの7400人(父と母の合計)になるのは相当先だが、徐々に島の人口は増える可能性が大です。島に憧れて移住してくる人も多い。沖縄石垣島の移住組は若い人、小笠原の移住組は子供連れ、と誰か言っていた。 

 私達の世界遺産地域ガイドをしてくれた「すだち」(須田が名字だが、島では村長を含めてニックネームで呼び合うそうな)さんやその他のガイドさんも、そしてペンションの経営者も「移住組」だった。なんらかの形で大学の時から小笠原とか自然とかに関連した勉強をしていて、島が好きで移住したという人が多かった。不便に感じることも多いが、「島には島の魅力がある。山ほど」というのが彼等の移住理由です。私も一瞬、「ここに一年ぐらい住むのもいいな」と思った。

 そうそう。「小笠原には基本的には病人はいない。みんな元気だ」というのが面白かった。島内で子供も生めない病院不足の小笠原。本当に危険な病人が出た場合には硫黄島の自衛隊にヘリを出してもらって同島の基地に運び、そこから自衛隊の飛行機で本土の病院に入院させるのだそうです。病人搬送も半端ない手順と作業。そんな手間暇を掛けて病人を搬送する必要が出てこないように、基本は「島には病人はいない」というのです。多分そうです。

 それにしても、旅のエンディングが劇的でした。二見港を出航する小笠原丸。港での見送りが盛大なことは「ああ、なるほど」と思ったのですが、船が港を出て直ぐに「あ、10数隻の船が併走(併航)していると」気がつきました。壮大です。船船に乗っている人達は皆手を振っている。一隻、また一隻と船速を落として併走をやめるのですが、辞めると同時に何人かが船の上から海にダイビングする。船ごとに。その度に小笠原丸からは歓声が上がる。

 小笠原丸からは「ありがとう」「いってきます」の合唱が起きる。多分成人式で島に帰ってきた人達も乗っていた。また正月を生まれ故郷の島で過ごすために帰ってきた人達もいた。旅の終わりがあれほど劇的だったことはない。島の人達のホスピタリティが素晴らしい、と思いました。サトウキビや冬野菜(カボチャなど)で生きてきた島も、今は観光が最大の産業。「また来て欲しい」という気持ちは間違いなくある。しかし年間恐らく40回くらい来航し、そして出航する小笠原丸をああいう形で送り出すのは大変だし、送られた方に感動を残す。「とても、とても素晴らしい」と思いました。今も私の中では「小笠原は素晴らしい」の印象が強くあるが、その一部はあのエンディングです。

 ありがとう、小笠原の方々。また行きたい。

 

11:03
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