日々のライブな情報ページ

2019
09/05
Thu

その夜、香港は異常に静かだった....

day by day
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 酩酊から一眠りして起きましたので、「その日の夜の香港」をちょっと記しておきます。私たち4人が歩いたのはワンチャイやセントラル、その周辺。つまり騒動の舞台だったところ。旧バンチャイビルの上のチャイナクラブで食事をして、その後に歩き回り、「昔は監獄だった」という施設の中の面白いバーで飲んで.......

 香港に居住している私以外の3人が揃って口にしたのは、「今夜の香港は異常に人出が少ない」だった。香港の銀座に相当する地域を歩いていたら、あるメンバーは「(人出は)普段の10分の1くらい」と言った。キャリー・ラム香港行政長官が「逃亡犯条例の完全撤回」を発表した数時間後の香港。

 彼女の正式発表直後に私が思ったのは、「今日は香港市民や学生は夜の街にくり出すかも知れない」「それは見る価値がある」というもの。なので食事の後、我々も街に出た。一時間以上歩いた。香取慎吾が書いた壁画を含めて色々見た。しかし確かに人出は少なかった。雨は降っていなかったのに。

 なぜか。多分いろいろな理由が考えられるが、一番大きなものは『「逃亡犯条例の完全撤回」は、いわゆる5大要求の一つに過ぎない。あと四つ(「"暴動"とする見解の撤回」「逮捕された参加者の釈放」「警察への責任追及と独立した調査実施」「"民主的な選挙"の実現」)も残っている。そこをどう考えるべきか、今回の運動を推進した学生、市民の間でも考えがまとまっていないのではないか』ということだと思う。

 安易に喜べば、「この程度を与えれば香港の騒動は収まる」と読んだ中国政府の思う通りになる。「さて、どうするか」を考えているのだ。多分学生や市民の間でも意見が割れる。どの意見がプリベールするかは、私には分からない。今のところ集会とかが事前に予定されているのは7日とか13日らしい。その前後には私が投宿しているホテルの近くで一帯一路(中国本土政府主催だと思う)に関する大きな会合も開かれるらしい。ターゲットになる可能性もある。

 今回香港に来て一つ分かったことがある。「ここは天安門でも、チベットでも、ましてや新疆ウイグル自治区でもない」ということだ。日本に居るときはあまり考えなかったが、香港の住民750万人のうちのかなりの部分は非中国人だ。もちろん日本人も多いし、欧米人も多い。当たり前だが、チャイナクラブの客は半分以上が非中国人だったし、夜の街を歩いてもコーカシアンが多い。

 その香港に例えば人民解放軍を投入すると言うことになると、それは中国にとって「国際社会全体を敵に回す」ということを意味する。当然不測の事態が予想される。それは10月1日の建国70周年を控えた中国本土政府にはとうてい選べる選択肢ではなかったのではないか。私はチベットも新疆ウイグル自治区にも行ったが、そもそも情報は出にくい場所にあり、当時は誰もが映像を作れる時代ではなかった。なので。「一体本当に何が起きたのか?」については今でも色々な説がある。

 しかし香港には世界中から常に多数の目が注がれ、多くの外国メディアがカメラを回し、そして学生も市民も記録装置を身につけている。そこでの惨事惹起は国のイメージを著しく損なう。中国本土政府は恐らく「これで騒動が収まってくれ」と祈っていると思う。その答えはあと数日後に出る。

 それにしても香港が抱える問題は複雑だと改めて現地に来て思った。そもそも「一国二制度」はあと28年の寿命だ。それが過ぎれば香港は今の中国本土と同じ政治体制に組み込まれる。それは時間の問題でしかない。その時、香港の今の異常に高い不動産価格はどうなるか、繁栄は続くのか、人々(特に豊かな人々)は海外に逃げ出さないのか.......などいろいろな問題がある。普通の若者が部屋を借りるのに苦労する家賃の高さ。貧富の格差も大きい。香港が抱える問題は複雑で錯綜している。今後の原稿や放送で取り上げていきたい。

 それにしてもある意味劇的だった。「行政長官が逃亡犯条例の完全撤回を決め、今日中に発表する」というサウス・チャイナ・モーニング・ポストのニュースを見付けたのは、香港国際空港からタクシーでホテルに入った直後。私も驚くタイミングだった。チェックインの時にホテルフロントの女の子にこのニュースを伝えたら「それが本当に私たちが欲しいものだ」と言った。鮮烈な言葉だった。

 

 

 

 

 

05:30
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