1998
12月

1998年12月の日記

日記

98年12月31日

 12月31日に移動することの最大のメリットは、国内だったらどの乗り物に乗るにしても予約がいらないということでしょう。日本人は大部分の人が既に移動を済ませている。店もやっていない。堺の先の三国ヶ丘から新大阪までは当然として、新大阪から名古屋までの新幹線、名古屋から上諏訪までの中央本線の特急とも全く予約なしで自由席でひろびろと移動しました。自由席もすきずきなら指定なんかよりよほど乗り心地がよい。

 しかし考えてみたら名古屋から諏訪に向かう列車に乗ったのは生まれて初めてですね。一度東京に帰ってから新宿から乗ろうと思ったのですが、考えたらそれは三角形の一辺を避けてわざわざ二辺を移動するようなもの。時間の無駄。名古屋から諏訪まで2時間くらいです。

 通夜は三々五々解散ですが、告別式は通常は納棺から見送りまで全員でやりますから、式としては圧巻です。子供が当然ながらまだ意味が分かっていないんだな。涙を誘っちゃいました。それにしても葬式は地方によって少しずつ違う。お焼香をする人の名前を読み上げる慣習は初めて経験しました。親族の名前だけを読み上げるのです。つまり焼香の順序が決まっている。「ご一般」という言葉も初めて聞きました。親族が焼香して参列者が焼香するのですが、そこで「ご一般」という単語が登場する。喪主が挨拶せずに、司会進行が代わって挨拶するのも。

 まあそんなことはどうでも良い。寺ちゃんには安らかに眠って欲しいと思います。37歳は若い。まだ何でもできる年です。しかも判明してから逝くまで3ヶ月もたっていない。これを思ったら、生きていること自体が付録のようなものです。
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 あと数時間ですな。名古屋から諏訪に向かう中央本線の中でこれを書いていますが。一つ心配なことがある。どうも12月に入って日本人のパワーが急速に落ちてきたような気がする。メーリング・リストでのメールの本数などを見ていても、なぜか12月に入って行き来が少なくなった。これが、99年に向かう準備、体力温存の兆しだったら良いと思うが、どうもそういう気もしない。

 なぜか私はそういう気がするのですが、街も気持ちが悪いくらい静かになっている。もっと雑然としている方が良い。列車の中も静かすぎる。子供が少ないのが一つの背景かもしれないが、とにかく大人に元気がない。確かに。元気も出ない気持ちも分かる。しかし、待っていても何も新しいものは生まれないのだ。2000年をあと一年に控えた1999年は、少なくとももっと「華」のある年にしたいと思う。日本全体として。しかし、それよりもまず護送船団をやめた日本であるからして、一人一人が好きなことを、出来ることをするのが肝要だと思う。他を嘆くより。

 皆様には、良い年越しを。GOOD LUCK !!

98年12月30日

 気持ちの入っている人のお葬式ほど、「こんな簡単でいいのか」と思いますね。中世の欧州や明治時代までの日本では葬式が二日三日に渡って行われていたというのが、理解できる。やはり気持ちの入った人を見送るのには、時間とある程度の無秩序が必要なのです。今は綺麗に流れすぎる。

 祖父の葬式も、祖母の葬式も、我が家では自宅でやりました。お坊さんに来ていただいて。親戚から仕事関係からなにからなにまで全員が我が家に入るのです。一方では焼香をしていて、別の部屋では精進落としをして酒を飲んでいるという図式。ははは、私には古いかもしれないがそういうのが葬式だと思える。今は、流れすぎている。

 確かに来てくださる方に時間的な制約を与えたくないということはわかる。しかし、人間所詮はお互いに迷惑をかけあって生きているのだから、葬式もそうだと思うのです。会場は堺から一つ南に下った三国ヶ丘というところの地域会館で。新しい大きな道路に沿った会場でした。会社の関係者も来ていて、知った顔もちらほら。
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 買い物をしたりホテルを予約したりなどなど他のことはすべて予定できますが、一番心配なのは帰省のピークと言われる30日に、新大阪行きの新幹線の席を確保できるかでした。しかし、出来たのです。2時過ぎの列車が結構空いていた。空いていた理由は直ぐに分かりました。熱海から浜松からあちこちで止まる。一言で言えば、遅い列車だったのです。しかし、そんなことはどうでもいい。速い列車に比べて15分くらいしか違いはありませんから。

 いったんホテルにチェックインした後、着替えて行きました。ホテルは堺に行くのに便利な難波の南海サウスタワーにした。このホテルは便利なのです。どこに行くにも。難波から20分くらいですかね、三国ヶ丘は。
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 新幹線の中では本が読める。29日に紀伊国屋から送られてきた「江戸はネットワーク」(平凡社)はなかなか面白い本でした。田中優子さんという方の文章は初めて読みましたが、一種の特徴がある。流れるようではないものの、この人が考えていることに対する熱意が出ているような文体なのです。例示することが難しいのですが。

 今の人間は自分達より以前の時代を、何か暗い遅れた時代に考えがちです。しかし、欧州の中世もそうだったらしいのですが、日本の江戸時代も実に多様性に富んだ世界だったことが分かる。私としては第二章の「遊女は慈悲に生きる」が面白かったな。遊郭の遊びに関する。それはそれは複雑なルールがあるし、昔の方が今の時代からすると想像を超えた規模の遊びをしていたことが分かる。

98年12月29日

 年が改まるのも待たないで、彼は逝ってしまいました。29日の午前11時10分。来年の1月27日の姫路出張のおりには、鼎泰豊(ディンダイファン)の「小龍包」や「ちまき」をみやげにもっていってやるから頑張れ、と言っておいたのに。言葉では言い表せないほど残念です。逝くには若すぎるし、とにかく惜しい。

 会社の同僚である寺山佳成君が癌に冒されていることが判明して香港から日本に帰ってきたのは、今年の11月でした。私がお見舞いに行ったのが、11月28日の土曜日。出張などでそれまで知らずに、その前の日の27日に知って、直ちに大阪に行ったのです。大きな病院の9階の小さめの個室。ちょうど奥さんと上の男の子がいて、そうですね2時間くらい4人で一緒にいました。いろいろ話をして、さらに病院の中を一緒に歩いたりしました。立ちくらみはしたし、休み休みでしたが、それでもちゃんと彼は歩けた。それから、1ヶ月しかたっていない。あまりにも急です。

 彼は私より一回りも下でしたが、良く飲みに行き、遊びました。ベトナムにいる私の弟に雰囲気が似ていた。今はニューヨークにいる佐々木君と3人で朝まで酒を飲んで、そのまま出社してディーリング・ルームの中で寝たこともあったな。自分が正しいと思ったら先輩とでも喧嘩をし、声が大きくて、見るからに大阪人でした。出身は堺だった。体力があって、どうたたいても壊れそうじゃない奴だったのに。

 ディーリング・ルームに居るときから、「中国」「中国」と言っていて、その思いがかなって台湾で中国語の勉強をした時に住んでいたのが、台北の鼎泰豊の直ぐ近く。「伊藤さん、私あそこで一杯食べましたけど、待ったことはなかったです」と11月の末に言ってました。きっとあいつのことだから、4時30分の開店の15分くらい前に行っていたのだろう。

 膵臓癌はなかなか見つからないし、見つかってからの進行ははやいと聞いていました。残念ながら本当だった。だって一ヶ月ですよ。11月の末に私とよどみなく話をしてから。心残りだったと思う。二人の小さい子がいる。上の男の子は、寺山君そっくり。5才くらいだと思う。2時間もいたのでなついて、随分遊びました。彼は父親の死の意味が分かるだろうか。下のお嬢さんはもっと小さい。
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 で、明日大阪に行きます。まず通夜に出て、出来たら31日の告別式にも出たい。新宿高島屋の11階で彼が好きだったものを買って。何の役にもたたない。しかし、まあこれは彼との約束です。11月の末に持っていった「元気玉」も役に立たなかった。「落語」のCDも役立たずだった。でも一言奥さんにはお悔やみを言いたい。そして、ご家族にも。合掌。

98年12月28日

 あれれ、そんな。こちとら、少なくとも29日までは出社し、それから年末年始を迎えようと思っていたら、午後の3時過ぎに研究所では「今日で今年の手締めで、午後4時から打ち上げもあり」と分かった。そりゃないぜ。29日もいろいろ約束があったのですが、聞くと29日に出社する人はほとんどいないという。しゃくだから、私も出社しないことにしました。ディーリング・ルームでは少なくとも30日までは働いていた。業界の違いですな。
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 紀伊国屋に注文しておいた何冊かのうち「生命の意味論」(多田富雄著、新潮社)が到着したので、日曜日に時間を見つけて読んでいたら、面白くて一気に読んでしまいました。人間がかなりの環境変化の中でもしなやかに生きていけるのはそもそも遺伝子レベルから人間が「あいまい」「ファジー」に出来ているからだとこの本は記述する。

 最近は血液型論などばかげた「運命論」「DNA 決定論」が盛んで、私はこの手の運命論が大嫌い。で、この本には非常に勇気づけられる。この本は

「生命体というのはとんでもない多様性、融通性に富んだ存在であって、遺伝子や分子同士が互いに影響し有って生命体を形成している」

「超システムとしての生命のさまざまな局面には、抜きがたいあいまいさが存在する」

と説く。従って、実は性も不確かだし、人間を含めて動物の形(人間の場合は手足二本その他)というのも不確かなものだという。いくつかの動物では、その動物の固有の形(と思われているもの)から離れた形状の個体を作ることは容易だという。この本には、「女は存在、男は現象」などいくつかとても気になる表現が出てくる。

 固定観念を壊されると言うのは気持ちが良いものだ。この本はその手の本としては非常に良くできているし、第一線の学者の書いた本だから専門用語にやや難しい表現があるが、メッセージは鮮明に伝わってくる。この本を読みながら、「生命体はまさに複雑系である」という印象を受けました。その生命体が構成している経済も、実は限りなく複雑系の存在なのです。とにかく面白い。推薦です。
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 いろいろな人が、いろいろなところで私が書いた文章を読んでいてくれるのですね。午後になって多分中国系の英語使い(たぶん香港かシンガポールの)の人からメールで

 Your FX news No.1474 is quite worthy of mention to my friends. Some point of views are valuable for consideration, after reading this article I have decided to take some price action for 1999. 1997mid--1998 has been an impact!

 I am going to try a shift in thoughts through reading a specific articles in which yours are very free from misunderstanding beliefs.

 Say thanks! And happy new year!

 と。1474号とは今年最後に書いた号です。良い「price action」を取ってくれれば良いのですが。自己責任で。(^_^)(^_^)ついでに言うと、この人も自分の1999年に対するシナリオを少しは書いてきてくれれば良いのに。読んでいる人が大勢いてくれることは分かっていても、最近双方向がちょっと少なくなったのが気になっているのです。
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 夕方からは、五反田の「イルクアードロ」で多分今年最後のまともな食事会。「1950年もののバローロ」をプレゼントしてもらったりして(tks のりちゃん)、結構な食事会でした。集まったのは6人。金沢君、名塚さん、内田君、木下君、中井君と私。このメンバーとは他のメンバーともども21日にも忘年会をしましたが、良き酒、良き食事、よき会話でした。ちらっと考えたら、6人のうち1998年に会社を代わったもの3名。職場を替わったもの4名。1999年については、もう一人職場が替わる可能性の高い候補がありと、相変わらず「多事」である。多難ではないけれども。まあ彼らの食べっぷりを見ていて、「こいつら、どこに出しても大丈夫だ」と思いましたがね。

 でも、本当に1999年はどういう年になるのでしょうかね。まあ重要なのは、自分からある程度決めておくことでしょう。99年はこれをしようと。運は降って沸いてくるものかもしれない。しかし、それを欲しているものにより多く来る気がする。

98年12月26〜27日

 年末モードですね。一番顕著なのは、新聞が薄くなること。とても、同じ料金を払おうとは思わない。(^_^)(^_^)。メールやメーリング・リストのポストも減ってきました。多くの方が移動中かもしれない。
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 マスコミにとって、「どのニュースをどのくらいの大きさで扱うか」というのは日常的なことながらも、常に非常に難しい判断を伴うものだろうと思う。ニュースは常に「相対的な存在」で、他にもっと大きなニュースがあればそれが通常なら新聞では一面トップ、放送ニュースではトップになるものでも、「スペース」「時間枠」の限界があるので横に寄せられてしまう。「相対的な存在」であることに加えて、「主観的な存在」でもある。新聞によって一面トップが違うのは、その良い証左だ。同じ新聞社でも整理部の担当デスクの判断一つで変わる面がある。

 もっと別のファクターもある。「営業政策」と「時との関係」。駅売りの新聞は一面トップの活字を見て買う人がけっこういる。ということは、目立ちやすい見出しが欲しい新聞が多いということだ。放送の場合は特にそうだが、天気の良い日曜日の昼のニュースではつい「うららかな日曜日....」といった時間ファクターのニュース(?_?)を最初にもって来たくなる。事実そうだ。

 出す方はいろいろなファクターを考えて決めているのだが、不思議なことに見る方は「世の中そんなことしか起こっていないのか」という気分で新聞を読んだり、放送のニュースを聞く。例えば、26日の朝日の夕刊のトップは「孤独のライン浮き彫り」と大きくあってその書き出しは「どうしても死にたいんです。薬で逝くつもりです」とある。読ませようと思ったら、この見出しと書き出しはなかなか良く出来ている。

 しかし私は例え「相対的な存在」で他にニュースがなかったにせよ、これは「一面トップの事件、記事だろうか」と思う。私が整理部の担当デスクだっらトップにはしない。社会面でしょう。望ましい場所は。なぜか。

  1. 自殺は別に珍しい現象ではない。通常なら、無名の人のそれなど全国紙などには載らない
  2. ポイントはネットでライン(送付→自殺者)が繋がっていた(毒物の授受)ということだが、ネットは最初からツールでいろいろな情報が載ることは分かり切っている
  3. 毒物自殺も別に珍しいことではない
 からだ。自殺については同じ新聞の右の記事に「年間の自殺者は交通事故死(年間1万人=筆者注)よりはるかに多い」と書いてある。ということは、すべての自殺を新聞が一面トップに載せていたら、新聞は他の記事を載せられなくなるということだ。「自殺」そのものはトップにはふさわしくない事件だ。

 「ネット」は確かに今売りだし中のメディアだ。しかしニュースにならなくても、「ネットで癒しを受けている人」「ネットで自殺を思いとどまった人」は一杯いるはずだし、ネットを時にそう言う風に使っている人は多い。日曜日の日経の最終面にはメールを使い始めた作家のほほえましい話が載っている。つまり、ツールとしてのネットは常に「両面」「両刃」なのだ。しかしこの記事を読んだ人は、ネットが実はしばしば孤独解消の場になっていたり、人を自殺から救っていることは想像できない。ネットは怖いと思うだけだ。車もそうだが、ツールは常に危険と隣り合わせだ。
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 「世界で初めて車の交通事故で死亡した人」には、大きな新聞のスペースが与えられただろうことを考えれば、確かに「自殺ーネットー毒物」がリンクした今回の事件には、一定の場所が与えられても良いと思う。しかし私にはそれが「一面トップ」とは思えない。10月12日に和歌山のカレー事件に関して意見を書いたが、日本の最近の新聞の特徴は一面がスキャンダライズされてきたことだ。社会面と一面が混然とし過ぎている。その一因は「夕刊」という存在だろう。一日に2回も「一面トップ」を作るのは容易なことではない。一面トップにもってくるには、識者のコメントも必要だ。

 「死のうと思ったけど、自殺が新聞でほんの小さくしか扱われないのでやめた」という高校時代の友達の言葉を覚えている。つまり、自殺は「最後の自己顕示」であるケースがあるのだ。新聞がそれを一面トップで扱うと言うことは、その「自己顕示」の助けをしているということである。ある心理学者が面白いことを言っている。中央線、総武線で人身事故(多くの場合飛び込み)が多いことに関して、「あまり報道で言うな」と言っていた。つまり、取り上げることが誘発し、流行させているというのだ。「自殺の名所」はマスコミが作る。私のように沿線の住民としては本当に迷惑な話である。自殺しなくても、死は確実に人間に訪れる。急がなくても良いのに。

 ネットもツールで、ツールが両刃の剣だとして、「刃」の片方に safety net を張る必要はあると思う。それは西垣先生が言っているとおりだ。多分毒物の扱いなどに関して、現行の法律でも取り締まれることがいっぱいあるはずだ。騒ぐよりも、ネットの賢い使い方をしっかり学校で教える必要もあると思う。自動車に「運転免許証」が必要なように。今のネットの「匿名傾向」も私は好きではない。だから、ホームページもちゃんと名前を出している。「発信実名性のルール」が必要だ。しかし、26日朝日夕刊のこの記事はそうした冷静な分析がなく、実に情緒的で一面トップにはふさわしくないと私は思う。
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 一つ言えることは、報道にも「営業」が欠かせないファクターである事からすれば、今後同じ様な事件が起きても、その扱いは直ぐに小さくなるだろう....ということです。

98年12月25日

 今朝6時。TBSに着いて9階に上がり、既にご出馬の皆様に挨拶して「スタンバイ」のデスクに座り、やおらバイオを起動しようとしたら、ありゃいつもの起動画面が出ない。メッセージで CDROM が何とかかんとかと出てくる。思い当たる節あり。シャットダウンするとき、ちょっと急いでいて「windows の終了」を「MS-DOS モードで再起動する」のところでシャットしてしまったのです。で、起動しようとしたらプロンプトの出る昔の画面になった。

 理由は分かっているのに、windows に戻すコマンドを忘れてしまった。「ありゃりゃ」とか騒いでいたら、毅郎さん、泰子さんなどなどが「覗き込み作戦」。そのうち、「伊藤さんでも......」とか冷やかされた上に、放送の冒頭でも言われちゃいました。ははは、あたしゃ素人でっせ。でも、本当に windows への戻し方を忘れてしまったのです。隣にいた担当ディレクターの長谷川君はコンピューターに詳しいので、「これなんだっけ」と言っても、彼も思い出せない。もっと詳しい小川君が来ても駄目。

 二人にヘルプを見てもらっても、「再起動」(強制 reboot)が処方箋としてあるだけ。しかし、「再起動」しても Ms-Dos Mode でしか立ち上がらないのです。いつも番組の直前にもインターネットで最新情報を仕入れるのですが、「しょうがないな、今日はあきらめ」「昼間ソニーに聞こう」とか思っているうちに小川さんが、「ちょっと貸してください」。何をするかと見ていたら、「exit」コマンドを入れた。それでパスワードを入れたら、見事 windows で再起動。ははは、ばかみたいに簡単。しかし、人間ていつもの手順がちょっと狂っただけで大パニックですね。こんな毎日使っている「windows の終了」画面に落とし穴があるなんて。ああ、冷や汗"(^_^;)"かいた。
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 運転手から面白い話を聞きました。77.7のFMラジオの話。「そんな局あるか」と思われるでしょ。実はないんです。しかし、都内のごく限られたところで使われている。ホテルには一杯車が来ます。普通のホテルは誰もが聞こえるスピーカーで呼び出す。「なになに会社の運転手さん.....」。しかし、一部のホテルはそうは行かない。その放送うるさいと近所からクレームが来たら、頭を使わざるを得ない。

 そのホテルの一つがホテル・ニューオータニなんだそうです。このホテルは、お客待ちの車をFM放送の77.7を使って呼び出す。だからあのホテルに車を着けると、運転手は他のラジオ、テレビを聞かずにもっぱら77.7に会わせて自分の客を待つのだそうです。車を運転しない私は知りませんが、多分普通の車でもこのホテルの周辺に行けば聞こえるのでは。

 都内で同じような方式をとっているホテルは、高輪プリンスかどこかにもう一つあるそうです。「この方式だと、車を離れてトイレにも行けないんですよね...」と運転手さん。ちょっとした残酷物語ですか。で、ホテル・ニューオータニの場合誰が放送に文句を言っているか。それは、上智大学だそうです(^_^)(^_^)。

98年12月24日

 年末だな、と思います。今年はこうだった...という振り返り番組がこの数日続く。事前に収録したり、実際に生でやったり。それが終わると、「1999年は...」という話になる。で、思うのです。一年ってなんて早いんだろう、そしてなんと遠いんだろう、と。ラジオの番組では局サイドから「こんなのが今年ありました」という資料をもらうのですが、見ても記憶が遠いものがある。それらは何か2〜3年前のような気がする。

 昔読んだホイジンガーの「中世の秋」にこんなことが書いてあったのを思い出します。中世の人々の世界は、今の人間からは想像もできないくらい狭かった。伝わってくる情報は、身近な村とか、そういうレベルの話が主で、庶民には少し遠い世界の話など関係のない世界の話だった。だから、人々は近くで起きたことに極めて敏感だった。中世は、実は涙や感動が多い世界だったというのです。葬式は何日もかけてやったし、結婚式も何日もかけてやった。それが普通だった....。彼らにとっては、一年は遅く、身近で、長いものだったかもしれない。

 世界は劇的に広がった。しかしあまりにも多くのことが、あれでもかこれでもかと伝わってくる。感動する暇もなく。最近のニュースで感動したことがあっただろうか。あきれることは多かったが。情報化が進んで、多分人間は幸せになっている。しかし、しばしば不幸に感じるときもある。多分、メール、携帯電話などなど personal communications の急増は、mass communications の急増に対する個人のサイドのささやかな抵抗なのかもしれない。黙っていると奪われてしまう自分の世界の回復の為の。

 しかし、分かっていることは時代は止まらないということだ。だから、止めようと思ったら時に自分で抜けるしかない。休暇を取って南の島や北極に行く方法もある。しかし、一番良いのは物事に対する座標軸をしっかりと持って、出来事に振り回されない判断力を持つことだろう。しかし、それが出来ている人は少ない。わたしもそうだが、あちこちの出来事がしばしば自分の座標軸からはみ出していることを感じる。多分来年は本当にいろいろなことが起きそうだ。
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 久しぶりにNHKの「ポップジャム」とかいう番組を見たら、今まで聞いたことはあるが誰が歌っているか知らずに見たことがなかった若手のグループが一杯出ている。GLAY とか KIRORO とか。何とか CIEL というのもあったな。これは「空」だと知っている。小生のフロントを作成してくれた和田さんがやっている会社の名前が CIEL だからだ。

 KIRORO は分かり易いが、他のグループは見分けるのに苦労する。MAX だろうが PUFFY だろうが。多分一人一人出てきたらどのグループの誰から分からないだろう。ははは、NHKも私のような人間がいるとおもってか、日本人の大人も一番家にいそうな夜に、「こんな若手が紅白に出ます」と宣伝しているのではないかと思う。確かに、どのグループが何人かは覚えた。

 彼らがジョン・レノンのクリスマス・ソングやその他のクラシックの歌を歌うのを聞いたが、うーん、やめておいた方が良いと思う。彼らは彼らの持ち歌を歌えば良いのである。その中にはなかなか良い曲があると思っていて、何曲かはカラオケでも歌えそうだ。
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 日本のクリスマスも静かになったようですな。午後11時過ぎに赤坂を通ったのですが、タクシーが長い列を作っていました。

98年12月23日

 22日の夜の会合で話題に上っていた本で、まだ読んでいなかった本を紀伊国屋のサイトで著者検索して見つけだし、久しぶりに注文しました。以前、といっても見たらなんと96年の11月10日に2冊頼んで以来。その時の注文番号が「00177701」と「00177702」でしたが、今回頼んだ4冊の本の注文番号は「25229401」から四つで、まあ本当にこの番号が続いているかは別としてこの2年間に増えたものです。

 買ったのは、田中優子さんという江戸の文化や社会を研究している方の二冊(「江戸はネットワーク」「江戸の想像力」)と、多田富雄さん(専門は免疫学でしょうか)の二冊(「生命の意味論」『「私」はなぜ存在するか』)。良い映画や、良い本の情報を得られる会合というのは楽しい。私は新聞や雑誌にこの本は良い、この映画は良い、このレストランは良い....と書いてあってもあまり信用しない。人にはそれぞれ「目」や「味覚」がある。私から見てそれを信じられる人からの情報でないと、簡単には信じられないし新聞・雑誌情報で動いて失敗した事は山ほどある。しかし、信頼できる人から得た情報はあまり外れがない。

 高円寺に住んでいるのだから新宿に出れば良いとお考えでしょうが、あの年末の混雑した店の中を汗をかきながら歩くのは....ちょと。それに著者の名前を忘れないうちにと思ったのです。名字だけで検索して、あまり時間をとらずに欲しい本にたどり着きました。便利です。しかし、お願いだからネットで買ったら安くして欲しい。日本でアメリカのようにネット販売が急増しないのは明らかに、「価格差」が欠如しているからです。
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 どうやら世界の通信量はアナログ、デジタルを合わせると劇的に増加しているようです。E-MAILで通信が劇的に増えているばかりでなく、伝統的な通信手段での通信も全く衰えていないよう。ニューヨーク・タイムズに「In the E-Mail Age, Paper Cards Are Booming」という記事があって、さわりは以下の通り。

These digital cards have become so popular that one major Internet service provider reported that the load from multimedia-heavy e-mail messages had caused a service slow-down earlier this month.

But in spite of all this, the traditional greeting card industry is booming. The Greeting Card Association, an industry trade group, projects sales of $7.5 billion this year, up from $7.3 billion last year. In 1995, the first full year of the World Wide Web's existence, total sales were $6.3 billion.

Card makers said that this new form of communication does not cannibalize traditional business, but, in fact, supports it. "What consumers are telling us is they really like cards of any sort," said Mary Gentry, who as new media product manager for Hallmark oversees the creation of digital cards for the company. "It's just one more way for them to communicate, to surprise the people they love and care for."

 自分の例を取り上げても実際そうですね。クリスマス・カードをネットで数多く送りましたが、だからといって実際の受け取りのカードが減少したわけではない。通信需要は増えているというわけです。人間は、「連絡したがり〜〜の」なんです。本質的に。寂しがりやだから。

98年12月22日

 経済ニュースで日本とアメリカが一番違うのは、指標となる長期金利の水準を言うか、言わないかである。日本はまず言わない。アメリカは私が知っている限り、株価指標と同じくらいに大事にして毎日、毎回言う。「指標30年債の利回りは5.0%でした」のように。これは多分、債券が株と同じくらいアメリカ人にとって親しい投資対象になっているためと思われる。個人資産の運用先を見ると、アメリカでは個人金融資産の8%が債券に投じられているのに対して、日本では3%である。

 今日の東京の債券市場で利回りが急上昇したことに対しても、日本のマスコミの反応は今のところ鈍い。夕方の段階でインターネットを見たら、債券相場の暴落を大きく扱っていた新聞はなかったし、ラジオで言うわけでもない。まあマスコミが騒ぐのは、今夜から明日の朝刊にかけてでしょう。しかし、この債券の相場暴落は株価の下げ以上に大きな影響を日本経済に与えそうだ。LIFFE ではやっと寄ったあと、価格は下げ利回りは上昇を続けている。

 直接のきっかけは宮沢蔵相の発言。今日たまたま赤坂の自転車会館に行ったら新聞記者が山のように来ていて、「何してんの...」と聞いたら、「宮沢蔵相が....」とか言っていたからあの場で言ったのかもしれない。とにかく、資金運用部が来年からは余資がないから国債を買わないかもしれないということを認めた。しかしそれはきっかけで、基本的な懸念は日本という国の財政悪化、国債需給の悪化である。長期金利の上昇は、日本の金融機関の経営を難しくし、景気拡大の足かせになる。メリットは、金利がかなり上がった状況下で、運用が多少楽になることぐらいか。

 多分日本はやっとここまで来て、「公共投資だけに頼った景気刺激策」の限界を悟るだろう。「いや有効にお金が使われていないからだ」という人もいるかもしれない。確かにその点はある。しかし、国民の不安を除去できない公共投資は最初から日本の景気回復の切り札ではなかったのだ。いろいろな雑誌にそう主張してきたが、これからはいよいよ「ではどうする」という意見になる。そこでは、やはり必要なのは個々人の覚悟、企業の覚悟である。政治家はそれを正直に語らねばならない時が近づいている。

 それにしても、日本のマスコミもしばらくは「今日の日本の長期金利の水準は...」と言わなければならない日が続きそうだ。
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 ひょっとした拍子にReal Audioの新しいバージョン(G2)をダウンロードして使ったら、「音の利用」でかなり進んでいることに気が付きました。CNNとか、FOX NEWSとか、ABC NEWSなど数多くの放送局が既に用意されていて、そこが10分とか15分とかに整形されたニュースなどを流してくれている。一番音が綺麗だったのは、NPR(ナショナル・パブリック・ラジオ)のそれでした。

 これは英語の勉強になりますよ。インターネットは文字情報の媒体から、実に多様な情報伝達手段の媒体になりつつある。毎日変化を見て取れるのがこの媒体の面白いところです。
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 ある人が、「メーカーは一つ良い製品を作れば生き返れる....」と言っていましたが、その言葉を証明するようなニュースが以下です。

SAN FRANCISCO (December 21, 1998 7:37 p.m. EST http://www.nandotimes.com) - Apple Computer Inc.'s innovative iMac computer was the top-selling personal computer in November at both U.S. computer retail stores and through mail-order, according to PC Data, a market research firm. The iMac accounted for 7.1 percent of all unit sales, and 8.2 percent of total retail revenues in the U.S. in November.

Retail and mail-order, however, presents about 15 to 20 percent of the total computer market worldwide, PC Data said. PC Data, based in Reston, Va., said that the iMac's rankings have steadily improved, moving up from fourth place in August, to the third in September and second in October.

This resulted in a doubling of Apple's overall market share, from 5 percent or below prior to August, to approximately 10 percent of the U.S. retail market, since the launch of the iMac in August.

In November, the iMac lead but was closely followed by sales of Compaq Computer Corp's Presario 5150 with an Advanced Micro Devices K6-2 processor, and the Hewlett-Packard Co. Pavilion 6355, with an Intel Corp. Celeron processor, which was the number one PC under $1,000 in November.

 会社では研究所のネットワークがマックなので、私は Windows 派ですが多少はマックの良さも分かります。でも、あのiMac を買おうとは思いませんが。多様なメーカーが残っていた方が、面白い。

98年12月21日

 まあ気に入らないのなら見なければ良いわけで、それ以上意見を言う必要はないのかもしれない。しかし、どう考えてもあのNHKの日曜日の「大河ドラマ」は気に入らない。同じような内容を繰り返す、そして武家社会の美意識(主君第一、服従、自己の圧殺などなど)を現代にも押しつける。あの重要な時間帯にやるべき番組とはとても思えない。

 慶喜が終わったと思ったら、またまた時代は江戸時代。元禄の忠臣蔵と来た。もうこの話題はこの「大河ドラマ」シリーズだけで何回やっただろうか。繰り返し繰り返し同じ事をよくやれるものだと思う。湿っぽい武家社会の秩序だとか、しきたりだとか、圧殺された人間の姿を映すよりも、もっと生き生きした時代の話でもやってくれないだろうか。卑弥呼の時代はどうだったのか、日本にもあったもっと動的な時代の話など。

 私はほとんど見たことはないのですが、たまに見ると本当に疑問に思ってしまう。日曜日の一番視聴率が高い時代に何年も古くさい倫理観の、自己というものがない、組織に服従している人間達のドラマを繰り返すのは、私は冗談ではなく日本という国にとって良くないと思っている。NHKは自然系の番組は素晴らしい。本当にどこから取材してくるのだろうか、と思うほどだ。だから、あの日曜日の「大河ドラマ」だけは、どうにかして欲しいものだと思う。日本の変化に釘を差していると思う。
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 あやふやなままに書くものでは有りませんね。山形さんから近況報告のメールをもらって彼女のサイトを見ていたら、自分の間違いを発見した。以前私はこの欄で「The Trueman Show」と書きました。実はあの時、「ああ、The Truman Show だったかもしれないな....」と頭をよぎっていたのです。インターネットでも調べたのですが、その時は調べられなかった。

 しかし、映画好きの彼女が「The Truman Show」と書いているのを見て、「これはほぼ小生の間違い」と思って、ネットを調べたらこういう形でサイトがありました。こういう形で調べておけば良かった。最近の映画はほとんどインターネットにサイトを持って登場している。踊る大捜査線もそうです。でも内容から言えば、「The Trueman Show」でも良いような気がするのですが。
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 今朝の日本経済新聞 Monday Nikkei の3面に「エコノミストアンケート」というのがあって、最後に「公共事業よりも雇用・失業対策を急ぐなど、国民の将来に対する不安感をぬぐい去る対策が不可欠ではないか」という私のコメントが引用されている。「...と言った指摘が多かった。」というあとの文章でも分かるとおり、「景気を立て直すために必要なこと」の中に、この要素を言えた方が私以外にも多かったかもしれない。

 しかし、どうもこの点が日本の経済政策では一番忘れられているように思う。つまりどう考えても今の日本の経済対策は、「お金さえ出せば何とかなる...」という安易な方法を取っていると思う。既に日本が使った景気対策費は、公共事業を中心に100兆円を超えている。全く効果がないのに、まだ「支出」「支出」と議論が傾くのは信じられない。日本はもうこれ以上財政赤字を増やせば、長期金利が上昇を始める非常に危険な水準に来ている。資金はあくまでも最小限度に効果的に使わねばならない。政治家の「ばらまき願望」に沿っていては、経済政策の有効性が失われる。

98年12月19〜20日

 ネット上ではもう年賀状が飛び交う季節です。「預かりました」と通知が来て、開けようとすると来年の1月1日までは駄目.....。ははは、何が書いて有るんだろうと気になりますよね。去年もそうでしたが、年賀状を2週間近く早めにもらった感じ。今年の年賀状の第一号は、12月の15日に到着しました、はい。過去の diary をちらっと見たら、去年は12月02日だった。

 送ったり、送られたりとやりとりしているうちに、カード、特にクリスマス・カードを送れるサイトがいっぱいあることに気が付きました。企業が主唱していてアンケート付きのもあるし、本当にこんなに綺麗なカードがただで送れるの.....というのもある。でも、今年は去年に増して「音」と「絵」が両方送れるカードが多いのが特徴。

 http://g-card.ntt-ad.co.jp/g-card/index.htmlはなかなか音楽の選択肢が多い。カードは小型ですが、音楽が綺麗に入っている。このカードは一度に5カ所に送れるのが特徴です。たくさんの人に送りたい人にあっている。http://www.cyber-bp.or.jp/yamaha/midmail_j/はヤマハがやっている。ここも音楽が綺麗です。しかし、送るにしても一カ所ずつです。最後にhttp://www.media.gr.jp/e3mail/もちょっと変わったカードが置いてある。

 その年その年でサイトを忘れてしまうのがいけないのですが、まあカードと言えば代表的なのはhttp://www.greeting-cards.com/pg/pでしょうか。ここにはあらゆるカードが揃っている。確かこのサイトはお金を少々取られると思った。送ったり、送られたり。いいじゃないですか。ネットだと手間暇かからない。人と人のやりとりは大事です。それから新年には、.お伊勢さんへのお参りも忘れないようにしましょう。
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 下院がクリントンに対する弾劾決議を「大陪審における偽証」と「司法妨害」の二点で通したことに対して、今のところホワイトハウスは徹底抗戦のようだ。共和党が55しか議席のない上院における弾劾裁判で「弾劾」が決まる可能性はほぼないとの読みからだ。弾劾が上院の裁判所で通過するためには、67(100の三分の二)の票が必要で民主党が45を持つ上院で、下院と同じ様な調子でクリントン弾劾が通過する可能性は確かに薄い。

 日曜日に目を通したニューヨーク・タイムズなどによると、クリントンはいたって意気軒昂で、来年年初の一般教書演説の中味や予算配分の話を側近としているという。しかし、今後のアメリカの政局はかなり混乱すると見た方が良さそうだ。上院の弾劾裁判所の証人には、またまたモニカ・ルインスキーだとかリンダ・トリップが登場する。そこでどんな発言が飛び出すか分かったものではない。金曜日の二つのラジオ番組では、下院本会議で弾劾が通過する可能性が強いこと、よってアメリカの政治の混乱の危険性を指摘しておいたが、今後半年間のアメリカの政局は極めて不安定になると読む。ドルには、下方圧力がかかるだろう。その兆候は先週末に出ている。弾劾裁判は1月の11日頃始まり、最低半年は続く。

 日本ではアメリカで弾劾裁判を受けるのは「史上二番目」という表現がよく使われる。確かにそうだが、重要なのは「公選大統領として初めて弾劾裁判を受ける大統領」という点で、この表現がより妥当だと思う。前回弾劾裁判を受けた大統領はリンカーンの後のアンドリュー・ジョンソン。彼は、リンカーンの暗殺で副大統領から昇格している。この弾劾裁判があったのは1868年。明治維新って何年でしたっけね。

 国民は今のところ「公選」大統領を支持し、クリントンを Operation Washington Fox のように追い回している共和党に批判的だ。共和党がこのような Operation を出来るのは、「顕著な外敵」がいないからでしょう。しかし、国民のクリントン支持は、何かの証言で一気に変化しかねない。中間選挙の民主党健闘で終わったかとも思ったこの疑惑が再び脚光を浴びるきっかけになったのは、議会の81の質問書に対するクリントンの放漫な回答だったと思っている。くだらないが、多くの国民がマスコミが飛び付くショーの始まりということです。

98年12月18日

 ははは、困憊。昼夜と入ったばかりでなく、今週は「朝食会」というのも入りましたし。福岡の銀行の頭取の方で、半年に一度くらいお会いする。多分、朝昼といろいろな方との予定を入れて、知識の更新、人脈の更新をされているのだと思います。こちらもいろいろな話が聞けて良い。写真が趣味の方で、何度か前にシルクロードの写真を見せてもらった。どうせ食べなければいけない朝と昼の食事に、いろいろな人との予定を入れるのは賢明です。夜は、もっと時間をかけてやることに割けばよい。
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 そう言えば、金曜日の夕方はラジオたんぱに収録にいく途中にあるばぶるばすたー さんの新しいオフィスに伺いました。Seeing is believing ですから、まず私は行ってみるのです。どんなオフィスで、どんな人に囲まれて仕事をしているのか。どのような入り口の構えか.....と。人々はどんな服装で、どんな目つき(^_^)(^_^)をして仕事をしているか。まあ大体その会社のコンセプトが分かる。彼のことは比較的良く知っているので、興味は彼が行った会社にあった。

 味もそっけもない入り口、いかにも外資系という感じの対応の女性と、15分くらいしか居なかったのですが、なかなか面白かった。いつもカメラが監視しているんですな。エレベーターを降りた瞬間から。まあわき目もふらずに、新しく登場した市場(不動産の)で仕事に邁進している新しい会社という雰囲気。はっと気づいたら、彼とはたった一週間の間に4回も会うことになっている。昼飯2回、夕飯1回、それに私の金曜日の襲撃。

 実は私がいる研究所は、主に不動産関係の研究を行っている研究員が多い。そこで、彼とはいろいろと接点があるという訳です。この調子だと、一年くらいすると私も不動産にもの凄く詳しくなれるかもしれない。彼には日本の信託銀行から今の会社に移った時に、私の番組に出てもらいました。日本の金融業界は組織ベースで再編が起きているだけでなく、個人のベースでも大きく変化しているのです。その変化を、番組で伝えたかった。あまりにも知っているので、聞き難い点もあったのです。

 出演を頼んだとき、「わかりました。近いですから・・・」というので、「そうなのか」と思っていたのですが、今度行ってよく分かった。彼の溜池のオフィスからラジオたんぱまでは歩いて3分でっせ。今度番組の前には、立ち寄ってあのオフィスで毎回コーヒーを飲んでから番組にいこうっと......(^_^)(^_^)。

98年12月17日

 あれれ、プリンターに印刷を任しておいたら、大変なことになりました。途中でクロのインクがなくなって、カラーは鮮明に色が出ているのにクロはかすれ、とても出せない葉書が50枚も出来てしまいやした。いたたたた....です。多少の懸念は有ったのです。最初からクロ、カラーともカートリッジを用意して取りかかろうと思ったのですが、つい油断したら。この50枚は郵便局で取り替えてもらいます。どこかにインク切れを警告してくれるソフトはないのか......!! (・-゚)
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 先日インターネットの普及においてアメリカで threshold point を越えつつあるのではと書いたら、ニューヨークの佐々木君から以下のメールをもらいました。

 フィラデルフィア取引所の新インデックスの話を読ませていただきました。(こちらではこれでインターネット株がショートに出来るようになったので最近の急騰も一旦冷やされるのではないかという見方です)

  米国へ来て3ヶ月が経ちましたがこの国でのインターネットショッピングの充実ぶりには驚くばかりです。東京に居る時から趣味のカメラはインターネットを使ってアリゾナやロンドンから購入していましたのでネットショッピング初心者という訳では無いのですが、いわば米国で伝統的なカタログショッピングがオンラインに形を変えた「基本型」(Amazon.comは老舗といえるでしょうか)から、最近ではニッチを行く新しい形の企業が次々と誕生しており目をみはります。

 先週もTicketmaster Online(TMCS)やuBid inc.(UBID)がIPOで登場したのですが一気にオファリングプライスの3倍強に跳ね上がり市場の話題をさらっていました。後者のuBid (www.ubid.com)は過剰在庫や閉店見切り品を集めてきてオンラインでオークションにかけるという、いわばオンラインの「バッタ屋」ともいうべき会社です。(昨年の9月に設立されまだ利益も出てない会社がオファリング翌日に3倍になるというのも?ですが・・・)

 オンラインオークションといえばeBay(www.ebay.com/)はご存知ですか?これはまさにクリスティーズやサザビーズのオンライン版(もっと低俗ですが)でアンティークから今入手困難なFurby人形までありとあらゆる物品が「個人取引」されています。小生も早速登録してカメラのアクセサリーを競り落としましたが、「個人売買」で最もネックになる相手の信用については個人のクレジットヒストリーが簡単に照会できるようになっているので全く安全とまではいわないまでも100ドル、200ドルの取引であればまあ安心して行なえます。

 uBidにしてもeBayにしてもそこで取引されている値段を知ってしまうと普通の店ではバカバカしくて買えなくなってしまいます。今後インターネットがさらに普及していくのであれば物の値段は上がれませんね。

 最後の「モノの値段は上がれません....」というの判断には私も賛成だし、「スピードの経済」の主要論点でもありました。有りがたいのは、「ネット」で起きていることだけに、日本にいてもその熱はかなりの程度伝わってくるということ。

98年12月16日

 車に乗っていて街を歩いている人を見ていたら、「歩行者用のナビ」というのは出来ないだろうか、と考えました。「ナビ」はかなりの車にはもう付いていて、便利している人が多い。しかし考えれば、「at a loss」するのは歩行者も同じです。知らない街で道に迷ったときに、携帯電話の窓に「次を右」などと指示してくれるようなマシンが出来たらなんと便利なことか。

 その場合重要なのは、新たな機械を作ることではなく、今ある機械と共用(リンク)させることです。機能を。これは冗談ではなくロイターの幹部と食事をしたときに「ロイターの相場情報をポケット・ロイターのような専用端末ではなく、携帯電話の窓に入れてくれないか。そのくらいは出来るだろう」と言ったことがあります。その幹部は、「検討する」と言いましたが、それはまだ具体化していない。

 これは私の予想ですが、今我々が持っている電話は将来は非常に多機能な端末になっていく可能性が強い。私は携帯に300弱の電話番号を覚えさせていますが、これはもう立派で便利な電話帳です。ドコモの207は「住所録」にもなっている。パソコンと繋げば(携帯エディーのような方式で)、もっと多様な仕事をさせることが出来ます。文章作成だって可能になる。また、ソニーが出している携帯録音機を電話に埋め込めば、メモ録音機にもなって便利です。今の携帯は、短い時間しか音を録音できない。まあ、ファイルとして送ってしまう手もあるのですが。

 携帯電話に辞書を入れる、というのはどうでしょう。一つの携帯電話が世界中で使えるような時代になると、これは便利ですよ。携帯電話で旅行先の言葉や挨拶を見つけだすことが可能ですし、知らない単語は直ぐ調べられる。小生はVAIOを使って文章を作成するときはほとんどRobo Word で英単語を調べますが、大体これで用が済む。コンピューターの辞書もかなり充実してきた。

 携帯電話はそのものが「通信端末」ですから、また音声入力などの技術が向上すれば、相当なことが出来るようになるでしょう。だからナビなんて簡単に出来そうです。その場合、「軽い」だけでは売りにならないでしょう。今の68グラムは十分に軽い。あとは、機能をどのように充実させていくかです。コストとの見合いで。うーん、折り畳みが可能な表示スクリーンなんてのは出来ませんかね。それを携帯電話の表示に使うのです。そうしたら、立派な画面になってスポーツも見れれば、ナビもできるし、歩きながら音声入力して、それでそのままFTPができたら、これはナイスですね。ははは.....。こうなれば wearable computer の世界ですが、あの今の異様な格好は嫌ですが。
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 あちこちから来年のカレンダーをもらうのですが、今日見えられて一緒に食事をした共同通信の鈴木さんからもらった「便利帳」をめくっていたら、「1999年の主な予定行事」というのがあって、それを見ていたら8月01日のところに「きんさん・ぎんさん107歳の誕生日」というのを見つけました。これはなかなか凄いですね。

 この前なくなられた日本最高年齢の方は114歳でしたっけ。きんさん・ぎんさんはあと7年で114歳に達するのです。きんさん・ぎんさんで思い出しました。こういうのを知っていますか。本当かどうか知りません。きんさん・ぎんさんが年を取っても一生懸命テレビ・ラジオに出る。で周りの人が聞いた。

「おふたりは、どうしてそんなに出演して稼ぐのですか......?」

 ふたりは答えた。

「だって、老後があるでしょう.....(^_^)(^_^)」

 99年12月20日には、マカオの中国返還というのがある。カジノはどうなるのでしょうか。来年同一日で三つも「主な予定」が入っている唯一の日がある。1月1日。その三つとは、「携帯・自動車電話番号11桁に」「改正独占禁止法施行」「EU通貨統合、ユーロ開始」。

98年12月15日

 予定もなく来客も予定されていなかったので、今年消化が遅れていたお休みを一日だけですがいただき、たまたまスケジュールがあったこの番組の方々とゴルフなんぞをしました。天気もよくて、場所も近かったし、4人でのんびりと。ははは、「明日はコンペが多くて一杯ですが、本日は12組です」と。え、平日にコンペが多い....と思ったら、「不動産関係の方が...」とゴルフ場の人。昔は月曜日はデパートが多いと言われていたし、曜日によって特徴がある。各業界によって休みの日は違うのです。確かに不動産は、土日が書き入れ時。逆にゴルフ場は値段が高く、込んでいる。スケジュールさえ会えば、平日がベターです。

 ゴルフは高いスポーツと思っている人が多いし、事実安くはないのですがそれでも一頃よりかなり安く、健全な遊びになってきました。しかし、もっと「健全」になるべきでしょう。昨日のゴルフ場も、冬季割引というのをやっていて普段よりはかなり安かった。まあ空いていたので、2キャディーでキャディー・フィーが高くなってしまいましたが。ゴルフ場も見栄を捨てて、割引券だとかいろいろ価格体系を複雑にしないで、すっきりと、素直に(^_^)(^_^)公示価格を下げたらどうでしょうか。まだまだ不必要な疑問符の付くサービスが多い。

 プレーの最中にもう少しでボールがグリーンに届きそうだったときに、「うーん、あわやのりこだった」と言ったら、全員がきょとんとして、そのあと爆笑となりましたが、私の頭の中の辞書にはそれも含めていろいろリストがある。

あわやのりこ    (もう少しで乗ったのに....         ) 
3年3組      (スリーオン、スリーパット           ) 
エイトマーン    (やっつもたたいちゃった....        )
ひばり殺し     (天ぷらショット                )
かき揚げ      (ひどい天ぷらショット             )
モグラたたき    (地球と喧嘩するショット            )
夜這いショット   (地をはうショット               )
高速道路      (地をはう高速ショット             ) 
クルーズ・ミサイル (地表すれすれショット             )  
男の子・女の子   (パットで強いと男の子、弱いと女の子      )
秋葉原の次     (神田→かんじゃった              )
リンダ       (どうにも止まらないーー悪化の一途       ) 
アメリカのおかあさ (ママ→まーまー                )
男のふんどし
 最後の男のふんどしは傑作。「時々、玉が外にもれる」→OB

 実にくだらんのが多い....と思いながら、結構使ってしまう。最近はもっと新しいのが出来ているかもしれない。誰か知らんですかな。スコアは全員、「アメリカのおかあさん」でした。あれ、中国でもおかあさんは「マーマ」ですが。で、全員で「再戦」を近いながらの THE END でした。

98年12月14日

 日本中のオフィスで、「エクセル中毒症」とも呼べる病気が蔓延している。(^_^)(^_^)あの横線、縦線が入ったスプレッド・シートを開き、そこに少しの数字を入れる仕事をしていれば、「自分は仕事をしている」と自分勝手に思う一群の連中が患者の中心だ。別の一群はもっとひどい。彼らは、意識的にも無意識にも「(エクセルさえ開いておけば)自分は、廻りから仕事をしていると見られるだろう」と期待する。

 「患者」だから、それを見たり直したりする医者(上司)が必要だが、日本のオフィスにはほとんどいない。部下が、または派遣の人がエクセルと格闘しているのを見ると、「ああ、彼らは仕事をしていてくれるのだ」と思ってしまう。そういう上司が大部分だ。computer illiteracy というやつだ。「word」や「一太郎」、それに「パワー・ポイント」は、字が読める人間(日本のオフィスの上司だったらそうだろう)なら覗き込めば一発でその部下が何をしているか分かる。しかし、スプレッド・シート上の数字の羅列は少し違うことをしている人にはわかりにくいものだ。医者不在だから、中毒症状が進むとエクセル・シートを眺めながら20分も腕組みする連中が現れる。何をしているのだろう。日本のオフィスでは、誰も「もしもし」と言わない。

 「エクセル」とはなかなかスグレモノの名前だ。「word」などというそのものの味気ない名前と比べて、「excel」は辞書で引くと「(他に)まさる」「(他より)すぐれる」とある。そうか、「エクセル」を使いこなせるのは、「まさった証拠」というわけか。(^_^)(^_^)で、こんなことも起きる。プロフィット・センターを期待されたセクションで一番評価されるのが、「儲ける人」ではなく「エクセルを使え、周囲の人間に教えられる人」というような。ただ便利なだけなのに。変な評価体型だから、プロフィット・センターの連中がエクセルの腕比べをしたりしている。延々と。チャートの色分けの綺麗さを競って。違うだろう....と思う。これはセクションにおけるエクセル中毒症だ。「とっとと儲けろ.....」と言いたい。

 日本のエクセル使用者は本当に「その人だけしか出来ないシート」を作っているのだろうか。ディーリング・ルームに行く。東京、ニューヨーク、ロンドンの外為市場のドル・円からなにからあらゆる通貨の寄り、引けを延々と打ち込んでいる奴がいる。私はそれを見る度に頭がくらくらする。そんなデータはいくつものオンライン業者が割安でいくらでも提供してくれている....と。見ると、その隣でも同じ事をやっている人間がいる。だったら、それ専門の人を社内で一人設けて、データをシェアしたらどうだい...と。

 社内や、社外の割安なデータベースや、それにインターネット、パソコン業者が持っているデータを一人一人が入力したら、日本経済の生産性は著しく低下するだろう。ましてやその企業は、「エクセル倒産」を遂げるかもしれない。「excel excess」というわけだ。コンピューターは導入すればそれだけで生産性が上がるのではない。うまく使って生産性が上がるのである。「医者」がいない日本のオフィスでは、中毒患者が跳梁跋扈している。「君は鉛筆をうまく使えるね....」と誉められる大人は誰もいない。しかし、実はコンピューターは多くの場合ツール以上のなにものでもない。
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 ここまで書いてきて、一つの本を紹介しよう。「銀行員は EXCEL をこき使う」。そういう意味で、痛快な本である。なにせ「こき使う」だから、「使われる」ことなど念頭に置いていない。どう使ったら日本のオフィスを効率化できるかを念頭に置いている。まあ「銀行員」とあるけれども、二巻あって一冊は「融資編」だから銀行員の他にはノンバンクあたりの人しか使えないかもしれないが、「渉外編」は他の業界の人でも使えるかもしれない。フロッピー・ディスクがついていて、必要な人には役立つでしょう。

 この本に一つ注文があるとすれば、これからはおそらく主流になっていくと思うエクセル・シートに対する「外部データの取り入れ」に関して、一つの章も用意されていないことだ。別に自慢でも何でもないのだが、小生はエクセルを使うときにデータを自分で打ったことは一度もない。そういう仕事をしてはいなかったということもあるが、全部契約している外部データソースやインターネットからの流し込み(データの validity は検証します)でエクセルを使っていた。スタンド・アロンなソフトウエアとしての excel を強調しすぎている。やっぱし、ネットワークの中でソフトウエアを考えなきゃ。

 ははは、筆者の方々には釈迦に説法でしたな。......あれれ、よく見たら本の題名は「銀行員は EXCEL をこう使う」(金融財政事情研究会)だった。ははは。で皆さん、「エクセル中毒症」には気をつけましょうね。今日社内のネットワークに、感染警報を出そうかしらん....。いや、そうします。ま、エクセルの仕事などこの本を読んでさっさと片づけましょう。では(^_^)(^_^)。

98年12月13日

 新聞記事に興味深いものが多かった一日でした。日経の40面の文化欄にある「厳冬の時代に思う」(丸山健二さん)は、今の日本の出版業界の「不振は不況のせい」という見方に真っ向から反対意見を張って痛快な論になっている。「しかめっ面をして活字離れを嘆く知識人、文化人は決して少なくない。だが、それは本当に嘆かわしいことなのだろうか」と問いかけ、出版業界内部の安易な姿勢に警鐘を鳴らしている。

 芥川賞とかなんとか賞とかの賞を取ったからといってその小説を読むタイプの人間ではないので正直「丸山健二」という方の文章は初めて読みました。賞を取った小説も今まで知らなかった。しかし、日経の文化欄の文章を読んでたいそう関心を持ちました。

 「本」はあまたあるマスコミ媒体の中で、圧倒的に「権威」を持ってきた。何よりも人類が最初に手にした普及型・簡易保存型記録媒体だからで、昔から人類がためた過去の知恵が詰まっていた。それは想像力をかき立て、教育のツールとなり、人類の記録を構成してきたのである。だから、昔から「本」にかかわる人は「レベルが高い人」という分類だった。「本を書いた...」と言えば、周りの人から尊敬の目で見られるし、出版社に勤めていればそれだけで「知識人」と受け取られる。

 しかし今という時代にあってあらゆる「権威」が挑戦を受けているように、「本」も今高すぎた権威、隆盛からの引き吊り降ろしにあっているように思う。だから、日本の本の業界はとにかく頭を使わなければならない筈だ。試行錯誤し、新しく登場してくるメディアとどう協力し、または競争し、そして価格設定を変え、そして一番重要なのはどんな内容の本を....とやることはいっぱいある。書き手は読んでもらえる文章、読む人をわくわくさせる文章を考えねばならないし、ばかげた複雑な流通システムは撤廃し、この物価全体が下がっている時代に本だけは何年経っても出版された時と同じ値段でしか売らないなどという事態は避けねばならないはずだ。

 時事ものの本など、野菜とどこが違うというのだろう。野菜の一日が、本の1ヶ月くらいの差だ。時事ものの本など、3ヶ月も経てば3日を経過した野菜と同じだ。なのに、値段は少しも下がらない。アメリカの本はどうなっているのだろうか。少なくとも amazon.com の隆盛を見るならば、あの国では本の業界も生きがよい動きをしているようだ。不況だから.....という前に、価格を柔軟なものにし、流通経路を多様化できないものか。問題があるとすれば、日本のマーケットはどうあがいても1億2500万の人間対象だ。もしアメリカの出版業界に勢いがあるとしたら、彼らはおそらく10億人の潜在的消費者を相手にしている。しかも彼らの本は、世界のどこにいてもネットを経由して安価に手に入るのだ。

 最近心配なのは、前宣伝が凄い本ほど大した本でないケースが多いことだ。まるで、前宣伝の大々的な映画が「見てがっかり」のやつばかりのように。あれでは、読者はますます離れる。本の活字は情報入手の一手段に過ぎない。私の場合は、ネットで見る活字の分量の方が遙かに多い。本の地位はやはり低下しているのである。日本の出版業界は、景気が良くなってもリバウンドできない深みにはまったように思える。
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 日曜日に配達されてきた日経産業新聞の最終面の「米ハイテク競争の風景一変」も面白かった。数日前に「閾値を越えたインターネット」という話を書いたが、それに似ている。『モザイクから「るつぼ」へ』が主見出し。「完全市場」というのは言い過ぎだと思うが、「高速の革命進行」というのには賛成である。AOLの調査で、アメリカ人の44%が「インターネットは生活必需品」と答えているという別の記事もおもしろかった。

 まあ日本の本の業界の悪口を言ったので、一つ面白かった本を紹介しましょう。「家族はこわい」。ははは、読ませたい人が一杯いる。確か日経から出ていたと思う。

98年12月12日

 プリンターにとっては、年に一度の大仕事ですな。葉書というちっちゃい媒体に、同じようなイメージと文字を繰り返し、繰り返し。ははは、今年は少し早めですが余裕のあるうちにということで、年賀葉書の印刷を開始しました。3種類くらい作って、とりあえず片面だけ。もうちょっと接近して送付名簿を完成させたら、もう片面も印刷します。印刷が一番時間がかかる。ソフトウエア(筆まめ)の使い方にはすっかり馴れたので、文面案は直ぐに出来る。しかし、印刷は時間との勝負です。
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 詳細は不明ですが、今回の日債銀の一時国有化決定は金融監督庁主導の措置だったような気がする。今までの大蔵省主導の銀行行政とは明らかに違っていて、奉加帳を回すこともなければ、民間の動きを待つこともなかった。「素早い」という印象。多分、日債銀と同じ様な経営状態だと思われている他の銀行の首脳陣が一番驚いたのではないだろうか。自分たちが知らないところで、「この銀行は債務超過....」と判断されて、「金融再生法36条(破たん処理)にもとづく特別公的管理(一時国有化)」を決定される可能性が出てきたからだ。同法36条を適用されれば、現経営陣は総退陣となり、その後経営責任を問われる。

 だから今回の決定は、「不良債権の処理はぐずぐずしていられない」という空気を日本の銀行業界に強く植え付けるだろう。これは歓迎すべきことだ。不動産価格が依然として低下傾向にあり、株価も冴えない現状では、時間の経過の中で第二、第三の日債銀が出現しても不思議でない。不良債権問題の処理は、時間との競争だ。だから、日本のいくつかの銀行にとって、政府の日債銀に対する措置は、「他人事」ではない。これからは、週末金曜日の新聞は注意しないといけないかもしれない。金融再生法36上の適用は、おそらく今回のように週末挟みで行われる可能性が強いからだ。

 日債銀に関するニュースは、海外でも大きく取り扱われている。ウォール・ストリート・ジャーナル、ニューヨーク・タイムズなどがネットで見る限り速報を流している。ニューヨーク・タイムズはこう述べている。

 「The Japanese government has been under pressure to be more assertive in confronting the country's economic troubles and banking crisis, and a takeover of Nippon Credit, which has about $100 billion in assets, would presumably be welcomed by the financial community as a sign that the authorities will move more decisively to resolve their banking problems」
 市場は、政府の動きが素早くなってきたことにはニューヨーク・タイムズが指摘するように「歓迎」するだろう。しかし今の日本のデフレ環境下では、日本の金融システムの安定には時間がかかり、「日債銀の国有化」は日本の銀行業界全体が抱える「容易ならざる不良債権問題の所在」を際立たせた。市場はこの面で、先行き不安感を強める危険性もある。それにしても、これまでの日債銀危機で増資に応じた金融機関、政府、日銀の資金は戻ってこない見通し。大変な授業料を払ったものだし、やはり責任の問題は回避すべきではないだろう。

98年12月11日

 日本ではあまり報じられていないが、フィラデルフィア証券取引所がオプション取引の対象として「Thestreet.com Internet Index」を上場した。今週の木曜日からである。初日の取引はまずまずだったそうだが、実はインターネットを前提とした金融商品が上場されるのは今までもあった。アメックスもやったことがあるし、シカゴの商品取引所も上場したことがある。でその結果は今までのところ「×」。取引高が伸びなかったのである。

 しかし、にもかかわらずフィラデルフィア証券取引所は20のインターネットそのもの、またその周辺で「pure play」(特化ビジネス)をしているアメリカ国内企業20社を銘柄による加重平均なしに指数に組み入れて、この新しい金融商品を作った。先週週末のNHKの特別番組がシカゴ・マーカンタイル取引所のメリメッド理事長の新金融商品導入に対する熱意を報じていたが、そのインターネット版ということである。

 今まではインターネット関連の株の動きを見ようと思ったら、NASDAQを見ていた人が多かったのでは。筆者もそうである。NASDAQにはマイクロソフト、ネットスケープなど数多くのネット関連銘柄が入っている。しかし、ここには他の新しい分野、例えばバイオなどの新しい企業も入っている。NASDAQは純粋ネット関連の指数とは言えなかった。それでも、NASDAQはインターネット関連、またはテクノロジー関連の銘柄の力強い値動きを受けて、DOWに比して力強い値動きを示してきた。筆者が先に紹介したChart Builderで下のNASDAQにマークして「GET CHART」すれば、この間の事情は一発で判明する。

 この新しい「20銘柄からなる指数」に入れられている銘柄は、Amazon.com Inc., America Online Inc., At Home Corp., BroadVision Inc., CMG Information Services Inc., Checkpoint Software Technologies , Egghead.com Inc., Excite Inc., Infoseek Corp., Lycos Inc., Macromedia Inc. , MindSpring Enterprises Inc., Netscape Communications Corp., Network Associates Inc., Onsale Inc., Open Market Inc., Real Networks Inc., Security Dynamics Technologies Inc., USWeb Corp. and Yahoo! Inc.など 。マイクロソフトは入っていない。インターネット事業はこの会社の一部ではあるが、OSとかASとかいろいろ手がけており、「pure player」(特化業者)とは言えないからである。

 既にアメリカの取引所が何回も失敗したインターネット関連銘柄を中心とする指数の上場をフィラデルフィアが再度試みた背景は、私でもある程度理解できる。今まさにアメリカではインターネットが threshold point (閾値)を越えつつあるからである。今年のアメリカのクリスマス・年末商戦の最大のポイントはインターネット関連、それにネット利用販売である。今朝のNandoのニュースにこんなのがあった。

SAN JOSE, Calif., (December 9, 1998 6:21 p.m. EST http://www.nandotimes.com) - Internet retail purchases for the holiday season will reach $2.35 billion worldwide as more consumers find online shopping convenient and secure, a new study by Dataquest shows.

 Dataquest analysts said the number was based on surveys of consumers' past spending and future online buying, as well as projections for more first-time Internet buyers this Christmas season.It said this year's holiday online spending would compare with about $1 billion last year.

 "Shoppers have seemingly gotten past the major security issues, especially with the major credit card players getting heavily into ad campaigns which implies their approval of online shopping with credit cards," Allen Weiner, director of Dataquest's Internet and Enterprise Strategies Worldwide and Digital Commerce Worldwide programs, said in a statement.

私がアメリカにおけるインターネットがthreshold point (閾値)を越えたと言うのは、「Shoppers have seemingly gotten past the major security issues」という点にある。通常大きなテクノロギーが普及において閾値を越えるのには40年とか長い時間がかかると言われる。技術は進んでも、人間が付いてこれないのだ。しかし、インターネットはスタート(実際には93年くらいからでしょうか)から閾値を越えるまでにわずかに数年でその域に達しつつあるように見える。少なくともアメリカでは。

98年12月10日

 「The Truman Show」−−凄い映画です。最後のたった2秒くらいで終わる一つの台詞のために、映画全体が組み立てられていると言っても過言ではない。で、このたった一つの台詞で、見た人の大部分は映画が終わった瞬間に席から立てなくなるのです。それまで立とうと思っていた人も。私もそうだった。説明したら身も蓋もなくなる映画ですから書きません。絶対見る価値はあるし、音楽も良い。短い映画だから、しっかり見ることです。この映画は終わった瞬間に、その凄さがわかる。
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 私は今年の10月12日に、日本のマスコミの和歌山のカレー事件に関する扱いに関して、このコーナーで以下のように書きました。

 どう考えても、和歌山のあの事件に対する日本のマスコミの時間と場所の割きようには納得できないものがある。重すぎるのだ。NHKはほぼ毎回あのニュースを一番に持ってきている。新聞も大きい。そして、昼の奥様向け番組では、全時間の7割とかの割合をあの事件に関する報道が占めているそうだ。

 あんな事件を一生懸命報道して、いったい何が生まれるのだろうか。我々の知識のどこが豊富になるのだろうか。砒素について ?。ばかばかしいから耳に入ってくる時は仕方ないが、新聞では関連記事は全く読まないし、先週の「Roundup World Now !!」(ラジオたんぱ 金曜夜11時40分)では、ディレクターが触れてくれというから、「これはおもろい」と思って、「そんなことあったんですか」ととぼけたあと、「報道における比重の置き方がおかしいんじゃないの」と言っておきやした。

 だってそうでしょう。同じようなフィルムを何十回となく流す。ついこの間までご近所だった人にあることないこと言わせる。人の世の中一定の比率で悪いやつ、狂ったやつはいるのに、いかにも人類全体が「原罪」を負った存在であるかのごとく、アナウンサーは深刻な顔で話をする。だからどうなるっていうんだい。ただただあの「林」なにがしを英雄にしているだけではないの....と思うわけです。マスコミは一生懸命たたいていると思うかもしれない。しかし、名前を報道すればするほど彼女は実は人々の意識の中では英雄、有名人になっていくのです。芸能人は、たたかれることで有名になる。

 日本のマスコミには、もっと時間と場所を割いて報道しなければならないことがあると思う。経済は、政治は。死者の数を言うんだったら、日本では交通事故で毎年1万人が死んでいる。今回の事件で死んだのは、何人でしょうか。知りませんので。ああいう馬鹿なことをしたと思われる人間(罪は確定しておりません)は、正式な裁判にかけ、判決が下ったら刑期を終えていただけばそれで良いのです。視聴者が見たがる。だったら「マスコミの使命」などと難しいことは言わなければ良い。そのうち、「砒素の正しい処方の仕方」なんて雑誌記事が出現しそうで、本当に心配。彼女が手記を書いたら、いくらで売れるんでしょうか。

 だから、木曜日の日経の下の「春秋」には大賛成です。林は今は日本人にとっての「The Truewoman」になっている。だから彼女を扱う番組は、「The Truewoman Show」という訳です。だから私は思う。あの関連の番組が始まったら、こう言えば良いと。「WHERE IS TV GUIDE ?」   (^_^)(^_^)

98年12月09日

 ははは、小生がひつまぶしをこよなく好きなことを知っていてくださる方から、「名古屋で本を買ったら、愛知の旅の川柳コンテストが載っていました。その中に貴兄の好きな”ひまつぶし”の句がありましたよ......」とメールをいただきました。またこれがいいんです。

「急いでも 三度味わう ひつまぶし」
 この食べ物の特徴がよく出ている。神奈川の方の作だそうです。で、ついでですが、つい最近暇な時間を見つけて、「京都の食べ物」のサイトをeating のコーナーの中に作りました。おそらく京都には、恐ろしいほど美味しい店がたくさんある。それは聞いてもいます。ここで紹介した店はあたりまえですがごく一部で、サイトを充実させるための第一歩というわけです。
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 先日紹介した東洋経済新報社から出ている「日本経済の真実」は極めて示唆に富む本です。特に「日本の企業システムへの挑戦的課題」を表題とする第6章が私としては一番興味が持てた。アメリカにおける「証券資本主義の完成」を論じ、あとアメリカにおけるコーポレート・ガバナンスのリンクを分析されていて、監視システムが完成したことを論じている。この点は、今後の日本のコーポレート・ガバナンスをどうしていくかというポイントを考えるとき、非常に参考になります。

 著者の吉冨 勝さんとは、火曜日に小池さん、永田君と一緒に食事をしました。このメンバーで食事するのは、今回が2回目です。2時間くらい。当然本の話題になって、特に第6章の最後に「では日本はどうすれば良いのか」という点についての記述が明確でないという話になって、その点については来年また...というような話になりました。「よくあの騒ぎの中で書けましたね....」とお聞きしたら、「いやあの騒ぎだから書けた...」と意外な答え。いろいろあって、予定したウォートンに行けなかったのだそうです。毎年恒例の。でほぼ半年、奥さんに白い目で見られながら本をお書きになったそうです。「日本経済の真実」は、このサイトをお読みの皆さんには、お奨めです。

 ところで永田君からはパソコン・ショッパーに非常に役立つサイトを教わりました。このサイトで表示されるパソコンなど機器、部品の値段が一番安いのだそうです。パソコンといえば、吉冨さんも最近 IBM の目によい液晶画面の最新機種をお買いになったそうです。
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 本日の夕方からは年末恒例の日経新聞、日本経済研究センター主催の「年末エコノミスト懇親会」に出席。このところ翌年11月末現在の予想が当たらないので、今年は少し早めに行って念入りに書きました。だからと言って当たるものでもない。最初集まりが悪かったので、かねて知り合いの日経の小島論説主幹に「集まりが悪いですね...」と言ったら、「いや、最近はパーティーが少ないからこれらから集まるんじゃないですか...」とリターン。その通りでした。最後は凄い人になった。しかし、まあ私より10歳も20歳も上の方が多い。知っている何人かの方に挨拶し、今年の春に日経センターで講演した時に世話になった進藤さん、笛田さんにちょい挨拶して用事もあったので退席しました。

 挨拶では、日経の社長さんの挨拶がちょっと辛辣でしたな。まあ、今年の成長率予想は大体のエコノミストが外してますから。実際との乖離が一番大きい人を壇上に上げようかと思った.....と言った時には、はははちょっとひやっとした人も居たのでは。

98年12月08日

 いつくかのスグレモノ(に違いない)の話。まずは、NTTドコモの207シリーズ。私のは203シリーズですが、これで十分と思っていた。207なぞ「軽いだけが取り柄だろう」と。しかしどうも違う。

 月曜日の夜は食い道楽仲間で食事をしたのですが、その中の渡辺真知子はんが自慢げに「207」を持ち出して機能説明を始めた。ははは、彼女が今まで持っていた携帯は、丸形(^_^)(^_^)だった。で、見ていたらこれがなかなかスグレモノ。見事に使いこなす彼女も凄いが、機種の機能も凄い。まず日本語が入る。まあこれは他の新しい機種もそうだったと思う。私が驚いたのは、住所登録も出来るのです。日本語で綺麗に。しかも比較的簡単に入力できる。さらさらさらと彼女が入れるのです。

 次に「こんなに入れたって来年の1月1日には苦労するよ...」と言ったら、この機種には来年のその時にワンタッチで11桁、大阪・兵庫の1桁増に対応できる機能が付いているのだそうです。ほんまにこうしたマシンの進歩はとどまるところを知らない。68グラムと軽いし。まあ、私は203からの乗り換えは、207の次くらいにしましょう。今の携帯の音質は、こんなに売れると思っていなかったから電波の帯を小さくしていて悪い。これが来年の早い時期に良い音質になるらしい。そしたら、乗り換えですな。
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 もう一つ。ニューヨークの株式市況を読んでいたら、Thrustmasterという会社の株が急騰したと出ている。この会社が開発したのは、「Talk N'Play」というソフトウエアで、このソフトはインターネット上で同時に4人までが会話、またゲーム、それにテキスト交換が出来るという。インターネット電話は今までもありました。しかし、追加料金がかからない、ただで出来るという範囲では、例えば ICQ などでも私の記憶では2人同時が限界だった。

 報道だけで使ってみてありませんから知りませんが、これは結構面白い。4人で同時にゲームが出来ると言うことは、ロンドン、ニューヨーク、香港の友達と時間を示し合わせて麻雀が出来ると言うことです。麻雀については数々のネット麻雀サイトがあってそういう場を提供している。しかし、この場合はサイトにある数々の卓の一つをこの4人が同時に取らないとその4人ではできない。どうもこの「Talk N'Play」というソフトでは、相方の3人のサイトさえ探し出せば、多少の前後があっても「海を越えての4人麻雀」が出来そうなのです。ナイス。この会社の株は、「Talk N'Play」発表後に138%も急騰したという。
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 もう一つスグレモノ。ブルームバーグにはChart Builderというページがあるのですが、これがちょっと役立つ。例えば、今ダウが表示されていますよね。下のNASDAQにマークして「GET CHART」すると、工業株とNASDAQの最近の動きの差、つまりNASDAQが下げ渋ってニューヨークの株式市場を先導しているのがよく分かる。ははは、チャートもインターネットでいくらでも得られる時代になったのです。

 このブルームバーグのサイト以外に、面白いチャート画面を知っている方はいらっしゃいませんか。いたらお教え乞う。

98年12月07日

 世の中ずうずうしいというか、目鼻の聞く奴というのはいるものですね。「exxonmobile.com」をさっさと登録した韓国の青年もそうですが、日曜日に近くの公園(蚕糸の森公園)でやっていた「のみの市」をぶらぶら見ていたのです。そしたら、どこかで見かけた時計が売っている。見ると、「Taipei Computer Association」と書いてあって確かに今年の春に小生が見に行った台湾のコンピューター・ショーの会場で、あるメーカーが配っていた品物。

 つまりこういうことです。あの手のコンピューター・ショーに行くと、簡単なマウス・パッドだとかいろいろなものをお土産に置いてある。来たお客さんに感謝の意味のお土産にするためにです。私もいくつかもらってきました。その大部分は日本に帰ってきてお土産にしましたが。で、別に責める意味で言っているのではないのですが、この「のみの市」で出品していた人は「Taipei Computer Association」の名前の付いた品物を、とても個人のお土産とは言えないほど大量に台湾から日本に持ち帰って、それを高円寺の蚕糸の森公園の「のみの市」で売っている.....と。

 まあ知らない人は、「これだけの品物が安い」と思うかもしれない。しかし、台湾で実物を見た人間は、「あれれ」てなもんです。まあ今は時計でも何でもデジタル関係は非常に安くできる。チップがどんどん安くなっていますから、非常に安い。しかし、どこかのショーでただでお土産に配っている物を、日本の「のみの市」で売っているというのを見かけるのも、あまり気分が良いものでもない。ま、そいつの商売根性には感心しましたが。特に声は掛けませんでした。まじめそうなサラリーマン風でした。隣に奥さんも居て.。o○
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 NHKは時に本当に良い番組を作りますね。「金融革命第3回−金融工学の騎手たち」はおもしろかった。知っていることもありましたが、正直言って「伊藤 清」さんという方の存在は知りませんでした。番組もよくまとまっていた。まあでもショールズとマートンの二人はLTCMで躓いたわけです。彼らは最初の取引でも躓いたらしい。あのNHKの番組は、LTCMが行き詰まる直前に撮影している。NHKのこの撮影のタイミングも良かった。でも取材は丁寧だと思います。

 あとは彼らがその後、つまりLTCMの行き詰まり後何をしているかを見たいですね。番組によれば、マートンとショールズに対するノーベル賞は彼らが非常に若いときの功績に対して送られている。まあ30代までに何かを考えつかないとノーベル賞は無理と言うことですか。ギリシャのオリーブの圧搾機の話はオプションの入門書によく出てくる話ですが、本当にあった話なんでしょうか。それにしても、考えついた奴はうまい。このシリーズ、最初の2回は「ひどい番組だ」と思いましたが、今回は良かった。
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 良かったといえば、日曜日の日経新聞の一面の左の「新しい会社?」も良かった。「無償の頭脳パワー」という副題。まあ、人間が追い求めているのは「楽しさ」や「評価」なんでしょうね。無償でも、それが楽しく評価を受けられれば意味があるし、人間はしばらくは一生懸命やる。通常は、この二つはなかなか得られないから、報酬というフィルターを通して自らの価値を測ろうとする。

98年12月05〜6日

 ははは、ちょい寝ちゃいました。土曜日の夜から日曜日の朝まで、12時間以上。おひさしの爆睡でごわした。ははは、見た夢が多分3本。二本ははっきり覚えていて、一本はめったにしないドライブを何か大きな車、多分ベンツか何かでしている(どこだかは不明、誰と一緒だっかな ?)夢、もう一本はなんとなんと江沢民とその孫3人と、我が家の一家で旅行をしている夢。これは長かった。なんだこれは一体 ? (誰かに夢判断されちゃいそう)

 寝るのはもともとうまい方で、どこでもいつでも「ここで寝よう」と思うと、10分でも15分でも寝れる。枕を選ぶこともない。ディーリング・ルームにいたときは、よく昼飯後、午後1時30分の場の開始まで30分なり寝ていました。椅子の背もたれに頭を乗せて。これはまったく不思議なのですが、いつ寝始めてもいつでも1時29分くらいになると、だれに起こされるのでもなく目がきちんと覚めるし、頭はフル回転しているのです。大体電車でもそうですね。

 乗り過ごすのは、本を読んでいて熱中してしまうときです。今でも中野で総武線に乗って千駄ヶ谷まで通勤する間は、本のような文章をなるべく読まないようにしている。しばしば乗り越して次の駅まで行ってしまう。新聞はOKです。これは一本読むのに時間がかからない。10分でも15分でも、昼寝はナイスですよ。夜の一時間分に相当するとものの本に書いてあった。
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 また何冊か本を仕入れて読み始めている。日本経済新聞社から出ている「市場 対 国家」は上下2冊の厚い本だ。原題は、

 「The Commanding Heights-The Battle Between Government and The Marketplace That is RemaKing The Modern World」

 ちょっと長い。そして、本のテーマはレーニンが言葉として初めて使ったという「The Commanding Heights」を今までは政府が占拠していたが、それを「市場」(marketplace)が占めつつあり、しかし市場も万能ではないので、この二つがどこでどう共存、均衡するのが良いだろうかという問題意識で書かれている。そういう意味ではかなり時代にはまった問題意識を持つ本である。

 しかしまだ読み始めたばかりだが、この本にはかなり残念なことがある。まず「The Commanding Heights」を訳者は「管制高地」と訳しているのだが、これは日本語として違和感があるし、しっくりこない。私も翻訳をやるからよく分かるが、この言葉(本の中でキーになる)をどう訳すかは、原本を最初に読み始めてから訳し終えて、そして翻訳本になったあとも訳者(山岡洋一さん)を悩まし続けている問題だろうということだ。多分山岡さんは、「こうすれば良かった」という思いが今でもあるはずだ。

 それを知りながら、しかし私はこの言葉は例えば「司令塔」とかもっと日本語らしい言葉に置き換えた方が良かったのではないかと思う。結局、ポイントとなったのは「heights」をどう訳すかではなかったか。訳者は「高地」を選んだ。しかし、この言葉は日本語では「203高地」くらいでしか馴染みがない。場所的に高いという意味以上に、「最後に指令を出す高い場所」という意味では「管制塔」も良かったような気がする。

 二番目は、アメリカ、欧州、中国とそれぞれ章になっているのに、日本はわずか10数ページで済まされている(ように最初見受けられる)点だ。政府か市場かという問題を考える上では、世界第二位の経済大国・日本などはよい題材だと思うのに、あまり触れられていない。この点はちょっと残念である。私が一番興味があるのは、第13章の「信認の均衡(改革後の世界)」で、これは結論部分であり、筆者がどう考えているかが興味深い。

 この問題、つまり「The Commanding Heights」が大枠において入れ替わったことについては、私もずっと考え続けている。二つ要因があったと思っていて、それは「情報の独占」状態から「情報の入手可能性の格段の向上」という環境、それに人類の大部分にとっての「飢餓からの解放」が「The Commanding Heights」の主を変えていると思う。この問題を書けば一冊の本ができるくらいだし、こうした認識がこの本でどのくらい触れられているかが興味深い。しかし、では「市場」が最終的な「The Commanding Heights」に居続けられるかといえば、私はノーと言いたい。しかし逆説的だが、実は政府も居続けるべきではないのである。
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 あとは、「資産市場と景気変動」(日経)、「日本経済の真実」(東洋経済)、「日本の経済格差」「名字と日本人」(ともに新書)など。「資産市場と景気変動」はサントリーの文化賞か何かをとっている。「日本経済の真実」は吉冨さんの本で、吉富さんとは火曜日に昼飯を食べるので、これはそれまでに読了したい。

98年12月04日

 朝ブルームバーグ・ラジオを聴いていたら、「世界の王が永久追放になる可能性がある」と結構長く報じていました。例のスパイ容疑事件で事実が証明されれば、「彼は球界から追放される...」という内容。「日本では何かあった場合、トップが追求される」という解説が付いていた。そうでもないケースもあるのに。

 面白いと思ったのは、ブルームバーグの経済ニュースの中にこういうニュースが入ること。日本だったらあまりこういうニュースは経済の番組の中には入れない。しかし、アメリカの経済番組はこういうニュースを拾っている。この姿勢は正しいと思うのです。人間経済で頭を一杯にしていても、どこかで別のいろいろなことを考えている。そういう需要を満たしてやるのも、番組の責任です。私もなるべくそうするようにしていて、これは文章でもある程度言える。
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 年の瀬で忙しくなってきました。私も実質今日から忘年会のスタート。セミナーに出て、森本さんの番組のボーリング大会、聴取率祝勝会などなど結構盛りだくさんでした。会社関係の忘年会もある。道も混んでました。しかしタクシーの運転手によると、同じ人出でも皆さん早く引き上げるのがここ数年の特徴だそうです。

 テレビ、ラジオもそろそろ「今年の振り返り」の番組が多くなる。ほんまに、何が起こったんだろうと思う一年。最近の特徴は、あまりにも出来事が多いので、「ああ、あれは何時だったんだろう」と思い返すと、つい最近のことが多い。つまり、出来事があっという間に過ぎ去るということだと思います。時間の流れが速くなっている。ははは、来年は1999年でっせ。でその次は2000年。

 1000年季に遭遇できるなんて、なんとラッキーかと思いますね。1999年から2000年にかけての年末年始は特別な過ごし方を考えないといけない。そのための手は打ち始めていますが。読者の方々も、今年の年末年始だけではなく、少し一年先をお考えになったら......。余計なお世話ですか ?

98年12月03日

 日本経済研究センターが、第25回の中期経済予測を発表した。予測期間は、1998年〜2003年。見出しは「デフレ経済脱却の道を探るー資本ストック調整圧力増大」。予測の骨子は以下の通りである。

  1. 予測期間中の実質経済成長率は年率でマイナス0.7%となる
  2. 99年度は政府の経済対策から成長率の落ち込みは小幅化するが、2000年度には資本ストック調整と雇用調整圧力が強く再び落ち込みマイナス成長は2001年まで続く
  3. プラス成長となるのは、金融システムが安定化し消費マインドが上向く2002年度以降となる
 など。添付されているPDF(日経のサイトから渡れます)の表を眺めていると、いろいろなことを考える。まず驚くのは、民間企業の設備投資だ。2002年までマイナスが続いている。プラスになるのは、2003年である。人口が増えない中では成長の基盤は、企業の投資による生産性の向上である。しかし、日本の民間設備投資は2002年まで減り続けるというのだ。確かに今は設備過剰かもしれない。しかし、将来に向けた投資は必要なはずだ。企業が生き残るためには、不要な設備を廃棄し、将来に向けた投資がどうしても必要。アメリカも90年代の初めの不況下の設備投資が今生きている。もし研究センターの見通しが正しければ、日本にはこうした動きがないことになる。これは懸念すべきことだ。

 しかし一方で、こうした丸めた数字だけで日本経済の姿を見るのは無理があるとも思う。この丸めた数字の中に、もの凄い跛行性、格差、選別が隠されていると思うのだ。つまり、全体の成長率がマイナスでもものすごく伸びる「勝ち組」と逆の「負け組」が。だから、過言すれば好況と不況が併存する。丸めた数字は数字として、それぞれの企業、個人が「勝ち組」に残る努力をしなければ経済全体に活力は出ないだろうし、今後5年ほど日本というこの国で暮らすには面白くないだろうということだ。

 子供の数が増えない成長社会、成熟社会なのだから、むやみに「成長」を求めるべきではない。個々の経済単位が最適な生き方を目指す社会が必要だ。全体の数字は惨めだが、その中には知恵の出しどころがいっぱいある。
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 久しぶりに日経出版局の田口君の夜メシを食いながら話をした。またいろいろ本を持ってきてくれて、週末の楽しみになりそう。出版業界やニュース配信、データ配信業界のデジタル化の動きなどは話題があって面白かった。アメリカではインターネット関連、通信関連株が爆発している。日本はまだその兆候が見られないが、これはイデオロギーの問題ではなくツールの問題だからその波が日本に押し寄せてくるのは目に見えている。流れをいかに素早くつかみ、それを使いこなすかが企業と個人に求められると言うことである。

 そにしても、石原さん初め単純な「反米主義」が一部で幅を利かせ始めたのは残念だ。ボーイングの4万8000人のレイオフでも顕著なのだが、日本を含めたアジアの経済困難は全面的にアメリカの利になっているわけではない。あの本はいかにも荒い論理でかかれている。「乱暴だから売れる」という解説でしたが、それは非常に残念なことだと思う。

98年12月02日

 来年の相場動向を考えないといけない季節ですな。相場はいつでも難しい。簡単な年などないのです。来年の予想もなかなか難しい。日本経済の先行きは動きが鈍い分だけ見えるように思う。動きが早い分だけ、アメリカ経済の先行き見通しが難しいし、欧州も統一通貨が誕生して希望に満ちた時期から実際の統合過程に入る。

 でも人間て怠け者(私だけかもしれませんが)ですから、真剣に考えるのはせっぱ詰まったときなんですな。原稿を頼まれたとか、関連の講演が迫ったとか。ははは、実は今日中山ちゃんから頼まれて、来年の相場見通しで田中君と予測座談会をやった。中山ちゃんが主筆のニューズ・レターの。出版されるのは先ですから、内容をここで書くことは出来ませんが、全体的にはかなりエキサイティングな一年になる予感がする。今年もそうであったように。

 一つ確実に言えることは、「スピードの経済」で主張したように、経済や市場の変化の速度は一段と加速するだろうと言うことです。最近印象として言えることは、実体経済の変化のスピードがあまりにも速いが故に、相場の変化の速度の陰が薄いと言うこと。実は、昔から気に入っている表現があるのですが、それはこうです。

Enjoy the party, but dance close to the door !!
the party とは活況を呈している市場を指します。何でもいい。最近では円債、ニューヨーク株などか。上がるから、皆パーティーに参加したい。しかし、これからの「活況市場」は経済の変化加速や市場センチメントの変わり目の早さで、突然終わるかもしれない。だから、「dance close to the door」と。ははは、ロシアの政策変更でパーティーから巧く降りられなかった人々が被った損害は甚大なものだった。来年も同じようなことは起こるでしょう。
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 年明け早々一番問題になるのは、為替市場ではEUROを巡る動きでしょう。今日はこれをしばらく調べていました。ECBは毎週 2 week のレポをやってそこで金融政策の implication をやるらしい。だから当面はこれが一番の目安になる。しかし、金融政策以外の指標、例えば雇用関係とか生産関係のEURO参加国全体を鳥瞰できる統計をどう作るかなどは決まっていないことが多いらしい。市場も何に注目して Euro-Dollarなどの為替相場を作るのか、結構混乱するのでは。

 ディーリング・ルームでは既に今までドル・マルクのトレードをしていた人間をEuro-Dollarのディーラーに指名したりと対応を始めている。今のECUと違うのは、ポンドなどが抜けること。この問題に詳しい人がいたら(ロンドンの根谷ちゃんは詳しそうだね)何か資料を送っていただければ幸甚です。

98年12月01日

 朝日ネットのニュースによれば、沖縄水産高校の新垣投手が、改めて進学の意向を表明したという。三輪田・オリックス編成部長の自殺(警察発表)後初めて、自らの進路を発表したことになる。スポーツ新聞には、いろいろなことが書いてある。新垣投手の気持ちがぐらついたと書いたあった新聞もあった。

 当然ながら全く個人的な意見としては、新垣投手には是非いろいろな出来事にも関わらず「ダイエー以外なら進学」と決めた道を歩いて欲しかった。最終的にそうなるかどうかは分からないが、編成部長の死に直面しても自らの道を選ぼうとしている姿は、なかなか素晴らしいと思う。

 考えてみれば、残酷な話である。新垣投手は最初から、「ダイエー以外だったら進学」と言っていた。それを見込みで指名したのは、オリックスである。最初からオリックスは無理を承知で指名した。新垣投手サイドには、拒否する十分な理由がある。ところが三輪田部長がああいうことになって、新垣投手は食事も喉を通らない状態だったという。

 新垣君には迷惑な話だったと思う。自分が選んだ騒動ではないのである。彼は道を鮮明にしていた。ある人が死を選ぶには、通常はいくつもの理由が重なっている。単一の理由と言うことはあまりない。小生は、本当に理由は一つだったろうかと思う。だから、新垣君は自らが決めた道を歩けばよいのである。こんなことがあったが故に一層、彼には今回のことに負けずに、大学、プロで活躍して欲しいと思う。たぶん、重圧は相当なものでしょうが。
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 スポーツと言えば、試合の方は見てないので知りませんが、ニューオータニに夜寄ったら凄い人。スポーツ・ジャケットを着たような感じのガイジンさんたちが。最初理由が分からなかった。しかし、聞いて納得しました。そう言えば、朝出勤するときから千駄ヶ谷で、
 「切符あったら買うよ」
 「なかったら売るよ」
 というお兄さん達が一杯居た。トヨタ・カップだったのですな。欧州と一番と南米の一番の戦いの。負けた方の連中がニューオータニには一杯宿泊していたようで、カプリで飲んでいたら、彼らの一部が入ってきて飲み始めたと思ったら突然拍手をしたりする。気持ちは分かるけど、ちょっと節度を失っていた。

 それにしても、南米から、そして欧州からどのくらいの人が見に来ていたものかと思う。熱心なことです。南米と欧州のクラブ・チームのナンバーワンを決めるのだから、どちらかでやれば良いと思うが、どちらでやっても収拾のつかない話になるということで、日本に来ているという。日本のサッカーファンにはラッキーな話です。スポーツはどんどん国際化している。だから今がたついている Jリーグ が、「見る人間は、常に最高の技能、技、持久力、華麗さなどなどを求めている」という点を忘れたら、今よりもますます悲惨なことになるだろうと思う。年俸が高いからといって解雇の対象にするようなやり方には、賛成できない。


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